*Promise*~約束~【完】



「美味しそう」

「……おい」



リオの視線は自然とスイーツへと注がれる。なんとか腕でライナットが引き留めてはいるものの、離せばたちまち走り寄ってしまうだろう。



「もっと緊張感を持て。おまえは食べに来たのか?ほどほどにしろ」

「あ、ごめんなさい……あなたの顔に泥を塗るような真似はしないようにするわ」

「敬語」

「本当にごめんなさい……」



どんどんと小さくなる彼女にライナットはため息を吐いた。怒るに怒れないのは彼が甘いということなのだろうか。

もしそうだとしたら、彼女限定だろう。



「別に怒ってない。だからもっと笑え。顔が固い」

「こう?」

「ひきつってる」

「……」

「まあいい。このあとの俺を見習え」



二人が会場に入る頃は人がまばらだったが、少し話をするだけで人が倍増していた。その多さにリオは身体を強ばらせたが、ライナットに肩を叩かれればたちまち緩む。

彼の存在はそれほど大きくなっていた。



「ライナット様、お元気でございますか?」

「ええ」



いきなり近寄って来たかと思えば恭しくお辞儀をした綺麗な女性。明らかに歳上だ。

しかしその瞳は乙女のそれだった。



「遠目でずっと見つめていたのですが、なかなか気づいてもらえずこうして参上いたしましたの」

「左様ですか。それは申し訳ありません」



その女性は図々しくも残念そうに少し項垂れて見せた。しかし、ライナットは変わらず笑顔を崩さない。

その完璧な笑顔に寒気が走った。彼が彼でない誰かになったような心のこもっていない上っ面だけの笑顔。

それは、見ていて気持ちの良いものではなかった。これがエリーゼの言っていたことなのだと確信した。

ライナットは今、感情を消している。



「ところで、そちらの方は噂の婚約者ですか?」

「そうです。リオーネと申します」

「初めまして、リオーネです」

「まあ、可愛らしいお方だこと。勿体ないわあ。ではライナット様」



女性は高らかにオホホと笑うと、そのまま集団の輪に加わった。きっとリオの印象を伝えているに違いない。

恐らく、最後の言葉はリオにはライナットは勿体ないということだろう。言葉の裏を知ればなんと人間は恐ろしいものだろうと感じる。

感情を殺しているライナットでさえ、その言葉にピクりと片眉をひきつらせた。



「これに堪えなければ」



リオは知らない内にそう呟いてから、ライナットの手に軽く手を掠めさせた。次も頑張ろうという気持ちを込めて。

彼はそれに答えるべく、その腰を抱く腕に力を込めた。


ーーーーー
ーーー



一通り挨拶がすむと、疲れがどっと肩にのし掛かった。さらには口角にまで影響を及ぼす。

表情筋が悲鳴をあげているのがひしひしと伝わってきた。



「足も痛い」



不馴れなヒールは今や凶器でしかない。靴擦れは必須だろう。第一、立っているのがやっとだ。



「これを飲め。喉が渇いただろう」



緊張で喉がカラカラだったため、目の前に差し出された一杯の水はありがたがった。

それを素直に受け取り控えめに飲み干す。本当はがぶ飲みしたい気分だ。



「ありがとう。助かった」

「リリスが現れたらすぐにここを出る」

「いいの?」

「ああ。おまえの方が大事だ」



さも当たり前だとでも言うように笑顔を見せた。その笑顔に偽りはなく、今までの感情の込もっていない薄い笑顔ではない。

久し振りにライナットに会った気がして安堵したのか、リオはここに来て初めてため息を吐いた。



「もう少しの辛抱だからな」

「わかりました。もう一踏ん張りします」



リオは力強く頷いてから、さっきまでちびちびと食べていたバームクーヘンをフォークで刺して食べ終えた。

こうなってしまった以上食欲が湧くはずもなく、味わう余裕さえなかったがライナットのおかげで食欲が湧いてきた。ウェイターにジュースを頼み、それをしばらく待つ。

しかし、このようなお金持ちの立場に慣れていない彼女は、わざわざ取りに行ってくれることに申し訳なく感じていた。だからウェイターが戻って来たときに思わずお礼を言ってしまう。



「ありがとうございます」

「い、いえ……」



ウェイターは顔を赤くさせるとそそくさと退散してしまった。それを見かねたライナットがたしなめる。



「あまり素を晒すな。勘違いされる」

「え?」

「自分に気があるのだと」

「まさかあ。そこまで自意識過剰になる?」

「とにかく、止めておけ」



いいな、とライナットに真顔で念を押されてしまった。自分はただ感謝を口にしただけだというのに、何をそこまで警戒する必要があるのだろうか。

しかし、それがルールなのだろう。郷にいっては郷に従え、だ。



「わかった。気を付ける」

「そうしてくれると助かる」



ライナットがそう言った直後、ざわついていた会場がいっきに静かになった。

その代わりに、カツカツとヒールが床を踏む音が聞こえた。集まる視線の先にいたのは……


リリスだった。



「派手……」



思わず漏らしたリオをライナットは肘で小突いてたしなめた。彼女はしまった、という顔をして少し戸惑った後にぎゅっと唇を噛んだ。

しかしそれは一瞬で、すぐに人の良さそうな顔に戻す。

その変化の面白さに口元を緩めてしまった彼は口元を手のひらで覆った。このままではポーカーフェイスがぼろぼろに崩れてしまう。

しばらくリオを見ないようにしようと肝に命じた。



「皆さん、よくぞこのパーティーに参加してくださいましたね。大いに盛り上がっているところをお邪魔して本当に申し訳なく思っています」



リリスはそのような無難な出だしから始めた。

リリスは背中と胸元が大胆に開いた赤いドレスに身を包み、首には大きな真珠をあしらったネックレスが揺れていた。それが谷間にちょうど収まり目のやり場に困る。

金髪の長い髪は上に一つに纏められ、項が露になっていた。とても子供がいるとは思えないほどの美貌に男性陣は釘付けになる。


この場のどこかしらにいる王子三人を除いては。



「ふふっ。早速なのだけれど、私の知らない女性が一人ここにいるようなの。どちらにいらっしゃるのかしら」



彼女はきょろきょろとわざと大きく首を動かした。ネックレスや髪が揺れ胸が揺れる。



(いい歳したおばさんが何やってるんだろ)



明らかに厚化粧のリリスに半ば呆れながらその様子を白い目で見ていると、あろうことかそのままの目付きでリリスと目がかち合ってしまった。

向こうはリオの視線に僅かに不機嫌そうな表情になる。



(ヤバいヤバい!思いっきり睨み付けちゃった)



冷や汗が見えていないだろうかと気になりながらも、その視線を受け止める。変に逸らせば本当に機嫌を損ねかねない。

ライナットの顔に泥を塗るような真似はしないと言ったではないか。



「見つけましたわ!ライナット、こちらに案内なさい」



リリスが気持ち悪いほどに赤い唇を三日月型に曲げると、ライナットは顔色一つ変えずにお辞儀をした。

リオは押される腰に抵抗したかったがそうもいかない。壁を越えなければ先に進めないのだから。


階段をヒールに気を付けながら上りきり、ステージ上に立つ。下から大勢の目に晒されているのかと思うと鳥肌が立ちそうになったが、この状況に諦めた。



(ええい!ここは腹をくくるのよ!)



いや、開き直った。



「さあ、こちらへ。ライナットはそこにいなさい」

「畏まりました」



ライナットと離されて不安で仕方なかったが、今の彼にどんな気持ちを込めても無駄だということはわかっていた。

今の彼の目は死んでいる。



「あなた、歳はいくつ?」

「十七でございますリリス様」



恭しくお辞儀をする。自分はあくまでリリスの下だと示すためだ。

しかし、それをしても意味はないだろう。

先ほどの目付きを見られてしまった以上は。



「十七!まあまあお若いこと。私の半分以下ねえ」

「とんでもございません、リリス様のコーデとメイクは完璧でございます。私は若さはあってもセンスがございません」

「そんなに謙遜しなくても平気よ」



タイミングを見計らって下げていた頭を上げてみれば、満面の笑顔を見せているリリスと目があった。

だが、こうして近くで見ればその目は笑っていないことに気づく。遠くからではわからないぐらい演技が上手い。



(しまった、すでに敵と見なされている)



演技というよりかは、そういう黒いことに手慣れているとも言えよう。



「さて、立ち話はなんですから場所を移しましょう。皆様も私たちの話に耳を傾けることもないでしょうし。では、ごきげんよう」



人の良さそうな笑顔でリリスはリオの肩に手を置くと、そのまま奥へと引っ込んでしまった。

しかし、ライナットは後を追わない。

いや、追えなかった。



(くそっ!やられた)



リオを一人にしてはならないと決めたのに、リリスに連れて行かれてしまった。どんな仕打ちを受けるかわかったものではない。



(あの雌狐から奪還しなければ)



と思う反面、リオなら上手く切り抜けられると思う自分がいる。

彼女は見た目とは裏腹になかなか鋭い感覚を持っている。リリスもそう易々とは手を出せないだろう。


ここは、信じるしかない。


ライナットは人知れずにステージから降りたのだった。



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