*Promise*~約束~【完】



「さあ、そこに掛けてちょうだい」

「はい」



リオはおずおずと椅子に座った。

ここはバルコニー。下を覗けば広い中庭が見渡せる。ここがどこなのかはわからないが、恐らくリリスの敷地なのだろう。

装飾や色合いが彼女好みだからすぐにわかった。強気な女性が見事に表されている。そのせいで、妙に落ち着かない。


早くここから立ち去りたい。



「紅茶はいかが?」

「いただきます」



リリスがそう提案すると、執事が現れて二人分の紅茶を用意した。焼き菓子の入った籠もテーブルの中央に置かれる。

いかにも高そうなお菓子だ。



「リオーネさん……だったかしら」

「はい。リオーネ=アラカルトと申します」

「聞かない名前ね」

「田舎者ですから」

「ご出身は?」

「バドランとガナラの国境付近の山脈をご存知ですか?そこの近くの名も無いような小さな村です」

「それでは私は知らないわね」

「そうですね」



嘘は言っていない、とリオは心の中で正当化した。ただ、バドラン領かガナラ領かというだけだ。

それを彼女に知られているかはまだわからない。だから、相手の出方を待つ。



「その山脈でライナットと会ったそうね」

「はい。山に薬草を取りに行っている最中にお会いしました。しかし、お怪我を成されているようだったので手当てをして差し上げたのです」

「優しいのね」

「いいえ、私も助けてもらいましたから」

「へえ。どんな?」

「滝に落ちそうになっていたところを助けていただいたのです。薬草を採ろうとしていたのですが、落ちそうになりまして……しかし、ライナット様に助けられました。そのときにお怪我を負わせてしまったのです」

「ふーん……」



だんだんとリリスは無表情になっていった。つまらない、といった感じだ。

紅茶を混ぜるスプーンを指で摘まんでゆるゆるとかき混ぜていたが、いきなりクスッと笑ったかと思うとリオに鋭い視線を向けた。

足を組み直してスプーンをお皿の上にカチャリと置く。



「嘘が下手ね。あなたは失言をしたわ」

「は?」

「ライナットが足を怪我して帰ってきたのは事実。けど、そのときの季節をあなたはご存知?」

「……」

「教えてあげるわ。冬よ」



その季節を聞いて、リオはサッと青ざめた。冬に薬草を採りに行くのはあり得ない。さらに、冬なら滝が凍っている可能性もなくわない。

膝の上に置いた手のひらにぎゅっと力を込め、目の前の冷め始めた紅茶を見下ろした。その水面に歪んだ自分の顔が映りこむ。


言わなければ、良かった。



「うふふ。図星ね。それで?あなたの目的は?どうせガナラのスパイか何かなのでしょうけど」

「……」

「ライナットはやはりクズね。母親そっくり」

「……がう」

「なあに?」



リリスはゆったりとした高い声で話し続ける。その声は耳障りで聞いていて吐き気がしそうな程だ。

しかし、聞き捨てなら無い言葉を聞いた。



「違う」

「何がよ。きちんと文にしてちょうだいな」

「私はスパイでもないしライナットはクズでもない。ナタリーさんも違う」

「え?……あはははは!笑える冗談ね。何が違うのよ。あなたはスパイでしょ?リオーネって名前ねえ、私は知ってるのよ」

「え?」

「ガナラの王女の幼児期の名前。それがリオーネ。成人すると自分の好きな名前に変えられるそうよ。知っているでしょう?」

「そんなの、知らない」

「嘘が下手ねえ。まあ、ここで殺される運命にあるのだから、そんなのはどうでもいいのだけれど」



目の前の女といい、話の内容といい全て馬鹿げている。

リオーネがガナラ王女の幼児期の名前?そんなのあり得ない。それを知らない国民はたくさんいるはずだから、リオーネという人が一般でいてもおかしくない。

全部、嘘だ。



「ああ、可哀想な子猫ちゃん。全然私の言ってることがわかっていないのね。全部ひっくるめて言えば、あなたはここで殺されるってことよ」

「……っ!」

「その指輪も、滑稽で仕方ないわね。まずはその指から切ってしまいましょうか」

「離して!イヤ!」



先ほどの執事が知らない内に背後に回っていて、座ったままがっちりと身体をホールドされてしまった。右手の薬指が執事の指に挟まれて痛む。

容赦がない。



「こんなものも持って。私を殺そうとしたのかしら」

「ああっ!」



リリスはいつの間にかリオがライナットから貰った短剣をその手に持っていた。ドレスの裾の見えないところに隠していたはずなのに。

しかし、彼女はそのまま立ち上がってリオの目の前まで迫る。



「私が切って差し上げましょうか。心配はいらないのよ?すぐに痛くなくなるから」

「イヤ……止めて」

「あらあら泣いちゃって可哀想に。指輪はちゃんと返すわね。でも、嵌める指がなくなってしまうのにねえ」



語尾は笑いで震えていた。真っ赤な口元も楽しそうに震えている。

リオは頬に流れる涙に悔しさを感じた。

全て迂闊だった。ここは敵陣の真っ只中なのだ。なのに、一人になってしまった。

これでは袋の鼠ではないか。逃げられず、ただただ袋の中で鳴いて助けを求めるばかり。


この女、狂ってる。



「何?その目は。さっきもそんな目で私を見ていたわねえ……興ざめしたわ。その目から潰してあげましょう。きっと、痛いでしょうねえ」



その言葉に全力で身体をよじって抵抗するも、執事がそれを許さない。

細いわりに、力が強い。



「子猫のあなたがこいつの力に叶うわけないのよ?いい加減おとなしくしたらどうかしら。そうしないと目どころか脳まで切ってしまいそうよ。ああ怖い怖い」



リリスは身体を両腕で抱き締めた。男の前でそれをすれば大胆な身体を強調させられるが、今のリオにしても意味を成さない。

本当に、イカれている。ヘドが出る。



「さて、お楽しみはもうおしまい。そろそろ方をつけましょうか。最後に言うことはある?」

「……ない、わ。ライナットとは、会って間もないもの」

「あらそうなの?一年前に会っているのではなくて?」

「最初に会ったのは一ヶ月以上前よ。それまでは彼の名前すら知らなかった」



厳密に言えば名字なのだが、そんな細かいことは今はどうでもいい。



「そうだったの。あんなやつのために命を落とすなんて恥ずかしくない?」

「全然。むしろ嬉しいわ。好きな人のために命を落とせるなんて本望だもの」

「あーヤダヤダ。聞きたくないわそれ以上。それも嘘なのよね。女は嘘が上手だから」

「どうかしら。私は本気よ」

「やっぱり、心臓を一突きにしましょうか」



リリスはお喋りに飽きたのか、今までの薄ら笑いを止め鋭い表情になった。まるで、獲物を狩る猛獣のような。

化けの皮が剥がれた。厚化粧の下には獰猛な獣が隠されていたのだ。


女は怖い生き物だ。



リリスが構えたためリオが目をぎゅっと瞑ると、突然ガランガランと金属音が響いた。何かが床に落ちたような。

閉じた瞼をゆっくりと開ければ、驚愕に目を見開いたリリスが少し離れたところに立っていた。リオとリリスの間に落ちていた短剣を拾ったのは……



「ルゥ!」

「お姫様の泣き顔はそそるね。でも、今は止めておくよ」



黒い装束に身を包んだルゥが目の前でニタニタと笑っているではないか。しかも、身体を拘束していた執事は椅子の下で伸びている。

いったい、何が起きたというのか。



「おまえは……ライナットの!」

「リリス様ご機嫌よう。でもご機嫌斜めみたいだね」

「ふざけないで!自分が何をやっているのかわかっているの?!」

「半狂乱に陥る王妃は見ていて見苦しいね。そんなやつは無視無視」



ルゥは能天気に手を振ると、リオの身体を持ち上げてバルコニーの柵の上に立った。

ここは飛び降りられないほどの高さではないが、好んで飛び降りる人はどこにもいないだろう。

リオは思い浮かんだことに顔色を青ざめさせた。



「まさか、飛び降りるつもり?」

「しーっ。リオは黙ってて」

「無視するんじゃないわよ!あなた、死刑よ?私に逆らった罰として!ライナットも殺してやる!」

「え、できるの?ならやってみてよ。証拠もなにもないのに。俺が逆らったことのね」

「私の力は絶対なのよ?!」

「そんなの女の色気を使ってるからだろ?今の裁判長は生憎女だけど、どうやって説得させるのかなー?」

「……」

「あれ、知らなかった?裁判長さ、定年退職したんだよ。それで、昨日新しく就任したんだ。だから、俺たちを死刑にするのはまず不可能」



リリスはその現実に膝から崩れ落ちた。

しかし、乱れた髪を直そうとせずに鬼のような形相で叫び出す。



「おのれぇぇぇ!!」

「いやー怖い怖い。俺たちはもう退散するわ。じゃあねおバカちんな王妃様ー」



ルゥは血走った目で迫ってくるリリスを軽く無視し、バルコニーの柵から飛び降りた。

今度はリオが叫ぶ。



「いやぁぁぁぁぁ!!」

「いやっほーい!」



ルゥは楽しそうに雄叫びを上げると、音もなく地面に無事着地した。

心臓が破裂しそうなほど痛い。



「ルゥ!前もって言ってからにしてよ!」

「え?わざわざカウントダウンしなきゃなんないの?そんなのつまんないじゃん」

「関係ないわよ!」



リオは怒り心頭だったが、ルゥが今度はおんぶして走り出したため口をつぐむ。舌を噛みそうでおっかないからだ。

そんなリオに彼は笑う。



「ほら、早く帰ろう」



帰ろう、という言葉に胸を打たれた。

そうだ、家に帰らなければ。生きて帰らなければ皆に示しがつかない。

それに、ライナットが今どうしているか心配だ。


リオはルゥの首にしがみつきながら眠りについた。心身共にかなり疲れたのだ。

重みが変わってルゥはさらに笑みを深める。



「やっぱりお子ちゃまだね。まあ、そこが可愛いんだけど」



ライナットの待っている北の塔へと、薄暗い茂みを駆け抜けながら向かった。

今は夕方。

そのだんだん暗くなる闇の中に、二人の姿は消えていった。


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