*Promise*~約束~【完】
王子
それから数日後、ライナットは長い廊下を歩いていた。
ここはパレスの廊下。白い大理石の造りでやけに靴音が響く。
なぜここに来ているのかと言うと、月に一度の王子三人による家族会議があるからだ。そこで情報収集やら談話やらをするわけなのだが、ライナットは内心苛立ってる。
(リリスの動向が気になる)
部下を隠密に総動員させている今、本拠地にのこのこと一人でやって来るのは感心しない。それに、ここは疲れる。
人にも、空気にも。
「お待たせしました」
「ライナットか、入れ」
ある部屋をノックし声をかければ、テノールの声が聞こえてきた。この声は第一王子のアレックスのものだ。そして、リリスの息子でもある。
しかし、彼は白だ。リリスは息子にはナタリーとの確執を隠している。
確執についてを彼に教えればリリスは怒り狂うだろうが、こちらはそこまで出過ぎた真似はできなかった。
理由はただ一つ。
ナタリーがリリスに捕らわれているからだ。リオの奪還も本来ならばあそこまでやるのは避けたかったが、ライナットは焦燥のあまり判断力に欠けていた。
決してルゥの言動は本人だけの意思ではなく、ライナットのものでもあった。だからライナットはやってしまった後、冷静さを取り戻して頭を抱えたがどうやら大丈夫だったらしい。
確かに、ナタリーを生かしておけばライナットはまだ手が出せない。
「お久し振りです」
「堅苦しいのは良いって。座ったら?」
「はい」
中に入ると、アレックスと第二王子のライアンがソファーに腰掛けて紅茶を飲んでいた。砕けた口調はライアンのもので、彼は少し軽い男だ。
ライナットが座ると、アレックスはため息を吐いた。
「なあ、おかしくないか?」
「何が?」
アレックスが思い詰めたように口を開くと、ライアンは頭の後ろに手を組んで仰け反った。
ソファーが僅かにギシッと音を立てる。
「情報が入ってこない」
「問題が無いってことでしょ」
「いや、そういうわけではないだろう。意図的に入らないようにしていると思う」
「何のためにさ」
「さあな。それがわかれば苦労しない」
ライナットは意外だ、と驚いた。リリスの息子であるアレックスが同じことを思っているとは思っていなかったのだ。しかし、ライアンは相変わらず真剣に思っていないようだった。
ライナットがお菓子を口に含むと、アレックスが彼に目を向けた。
「おまえはどう思う?」
「どう、と言いますと?」
「惚けるな。おまえも感じているだろう」
「……ええ、まあ。俺は陛下のご様子を全然耳に挟まないな、と思っています」
「あ、確かに。父さんと会ってないや」
ライナットはライアンを軽く無視し、アレックスに対して言葉を選びながら答えた。彼はわりと洞察力に優れており、隠し事をしていればたちまち不機嫌になる。だからリリスがどうやって隠しているのか気になるのだが……
その点、ライアンは屈託がないためアレックスは接しやすいようだ。
「陛下……確か、最後に情報が入ったのはいつだ?」
「ちょうど、ガナラとの和平に失敗した辺りでしょうか。その和平に陛下は御自ら参加していたはずです」
「その和平が関係していると思うか?さすがにガナラが陛下に何かしたとは思えん。第一、ガナラは勘違いしている」
「バドランがガナラを侵略しようとしてるとかって思ってたやつでしょ?バカだよねえ。周りが全然見えてない」
「それは同感だ。決してそうしようとしていわけではないのに」
アレックスがライアンの言葉に軽く頷いたが、その言葉にライナットは腑に落ちない点を見つけた。
(勝手にそう思うわけがない。何かしらの原因があるはず)
つまり、ガナラ内でバドランのデマが飛び交ったということだ。国がそう易々とデマにたぶらかされてはたまったものではないが、国王でさえも納得するようなデマ。
バドランは近年、隣国との調印を開拓してきたがそれは決して手中に収めるためではなく、お互いが助け合って維持促進できるように手助けするためだ。持ちず持たれずの関係を築いて今後も協力しようとやっていること。
それが、ガナラでは違う解釈で国民に広がってしまったのだ。
バドランが調印を急いでいるのは、隣国を配下に従わせるためであり頂点に立とうとしているのだと。
しかし、バドランと言えどそこまでの野望はない。三角社会ではなく皆等しい身分として手を取り合っているというだけだ。
それを不満に思っている調印国はなく、むしろ感謝されている。バドランは頼りになる、と。
災害が起きれば兵や医者を派遣するし、大工も動員させ復興のために尽力を尽くす。もちろん、食料などの物資も送り決してガナラの思うような悪者ではない。お礼として謝礼もいただくぐらいなのだから。
そこをどう間違えたのか、変な情報がガナラには流れた。それはつまり、誰かが意図的に流したということに過ぎない。
その誰かをあぶり出せば、事の真相を掴めるかもしれないのだ。
「アレックス、俺には一つ疑問に思うことがあります」
「何だ、言ってみろ」
「考えたのですが、もしそれがデマだとして、流したのはバドランに恨みがあるか良く思っていない者の仕業ではないかと」
「それはそうだろう」
「さらに、その者は身内ではないのかと思いました」
「身内?この城にいる誰かってこと?無いってそんなの。第一、利点がないじゃん。まあ、デマを流されたっていうのは賛成するけど」
「利点ならいくらでもあるでしょう。脅威であるバドランを倒せたとなれば、その者はガナラにとっては英雄です。その地位は恐らく、ガナラ国王よりも上の立場になるでしょう」
「そんなに上手くいくのかねえ」
「人間は単純ですから」
「それで、ライナットはその誰かの目星はついているのか?」
「いえ、今思ったことなのでなんとも」
実は、ある人物が浮かび上がっているが推測だけでは言いづらい。それにその名を口にすればアレックスが怒るのは目に見えている。
その名はリリス。
しかし、いくら非道な彼女でもそこまでやれる後ろ楯も根性もないだろう。そうなると、誰になるのか……
ライナットにはまだその輪郭さえわからなかった。
「取り敢えず、陛下の安否だけでも掴めれば良いのだが……国王が健常であればこの状況は覆されないだろう」
「父さん病気とか持ってたっけ」
「いや。ただ若くはない」
王座の背もたれに完全に体重を預けていた姿を思い出す。
王子は誰も国王と似ておらず、皆母親似だ。そのため余計に国王は老けて見えた。
実際、疲れていたようにも見えたため、病気になって寝室で寝込んでいるのかもしれない。それならそれで問題ではないのだが、そのような情報すらも入ってこないのだ。病気になったとしても最高位の医者が診察するため大事には至らない。
問題なのは、何も知らないということだけなのだ。
「一応、父さんの召し使いは見かけるけど滅多に会わないしなあ。話す間もなく横を通りすぎるよ」
「声をかけても迷惑なだけだろうしな」
「以前声をかけたのですが、会釈されただけでしたよ。もしかしたら口封じをされているのかもしれませんね」
さっき廊下を歩いていたら、たまたまその召し使いの一人に出くわしたのだ。声をかけてみたものの、顔を俯いて会釈されただけだった。その後、小走りで横を通り過ぎ去って行ってしまった。
そのときの表情はよくわからなかったが、固く唇を噛んでいたようにも見えた。それは言いたいのを我慢しているのではないか、と思えるほどの無言の悲鳴。
しかし、ただのちら見なので見間違いかもしれない。
「まあ、今日はこのへんにしておこう。臨時でまた集まるかもしれないが」
「悪い報告だったら嫌だなあ」
ライアンはぶつくさとぼやきながら先に部屋を出て行った。そのあとを追ってライナットも立ち上がったが、アレックスに呼び止められる。
「ライナット」
「はい」
「婚約者とはどうなっている?」
「……」
そう来たか、とライナットはため息を吐きたくなった。現在第一王子であるアレックスにパートナーはいない。そのため、ライナットが結婚をして先に子供を産んでしまったらアレックスの座っている位置が微妙になってしまう。
それを彼は畏怖したのだろう。
ライナットは努めて普通に答えた。
「特にありませんが」
「そうか。まさかおまえが婚約者をもらうとは思っていなかったから驚いたんだ」
「ええ、正直俺も戸惑っています。なぜこのようなことをしてしまったのか」
「俺も、そろそろかもな」
アレックスは25歳である。そのため結婚適齢期ではあるのだが相手が見つからないようだ。この間のパーティーでも目立ったような感じではなかったようだ。
そのことを本人も気にしているのか、アレックスは今のは忘れてくれ、とライナットに言い残すとさっさと去ってしまった。
しかし、そのときの表情が洒落にならないくらい無表情だった。
(焦っているのか)
一見、王座などどうでも良さそうに見えるが実は真剣に考えているようだ。いざその位置がぐらつき始めれば感情が揺さぶられる。
確かに、ライナットに子供が出来たら後継者争いが起こらなくなる。そのため、次期王にアレックスがなったとしても一時期になるかもしれないのだ。つまり、ライナットの子供が成人になれば王座がそちらに傾くということ。
あり得なくはないが、ライナットの子供がまだまだ現役のアレックスを差し置いて王座に就いてしまうかもしれないのだ。
(そんなに先の話なんて、今はどうでもいい)
アレックスは先を見すぎなのだ。今肝心なことは目先の問題であり、この国の違和感をつき止めること。それがわからなければ、十数年先の話をしたって意味がない。