*Promise*~約束~【完】
「坊っちゃん、ルゥがいますがどういたしましょう」
「放っておけ……ガイル、いい加減坊っちゃんは止めろ」
「いえいえ、そう言うわけにはいきません」
何度めかのやり取りにライナットはため息を吐いた。外では本名で呼ぶな、と命令したところ、ガイルは彼のことを坊っちゃんと呼び始めたのだ。
ガイルは敬語を使う数少ない部下であり、ライナットよりも背も年齢も上だが腰は低かった。何をやってもデキる男だが、この頑固さと堅苦しさがたまに傷である少々残念な男だとライナットは思っている。
(この顔で笑顔を振り撒くな)
甘いマスクでライナットに微笑んでいるその表情は、どの女性も虜にしてしまうのを彼は自覚していない。その悩殺してしまうような笑みをちらちらと見る通行人が鬱陶しくて仕方なかった。あまり目立ちたくないのを知っているだろうに。
ライナットはこめかみに指を当てたい気分でガイルに聞いた。
「ルゥはいつからだ?俺が気がついたのは北の塔を出た後だが」
「そうですねえ、僕は坊っちゃんのお着替えを待っていた時でしょうか。僕が待っている時の慌てっぷりは気の毒でしたよ」
「ふっ……だろうな」
ライナットはその光景を思い浮かべて笑みを浮かべた。ガイルの鋭さは獣並みかそれ以上で、気配を消すことに長けているルゥでさえも太刀打ちできないほどだ。決して敵に回したくない男ナンバーワンだ、と仲間内では言われている。
ライナットは少しずれたマフラーを直して歩調を速めた。
「そのマフラーはリオ様からですか?」
「……まあな」
「照れなくてもいいではありませんか。素敵なプレゼントですね。あなたによくお似合いの色ですよ」
「照れてない」
「間違えました。デレなくてもいいですよ」
「おまえなあ……」
ライナットは呆れたようにため息混じりに答えると、目的地が見えて来たため口をつぐんだ。あの場所にあの人物がいる。
緊張と興奮を少し覚えながら、民宿のドアを開けた。そこには夫婦になった部下二人が待っており、彼らを温かく迎え入れてくれた。
「ライナット様、お久し振りでございます!大きくなられましたねえ……」
妻である女性がしんみりと話しかけると、夫である男性がたしなめた。
「こら、おまえに会いに来たわけじゃないんだぞ。ライナット様、こちらです」
その言葉に妻は落ち込んていたが、ライナットが気にするな、とすれ違い様に声をかけると元気になったようでいそいそと仕事を再開し始めた。
夫はその様子に苦笑すると、ライナットたちを二階へと案内した。この民宿は三階建てで、一階から人を埋めていくらしい。
夫が去った後、一つの部屋を前にしてライナットは息を整えた。この先に、あいつがいる。
なかなか開けないライナットを不思議に思ったのか、ガイルがこそっと耳打ちをした。
「どうされましたか」
「いや、どんな顔をすればいいのかわからないんだ」
「……そんなことですか。では開けますよ」
肩透かしを食らったようにガイルは言うと、言い終えるや否や返事も聞かずに彼の後ろからドアを開けてしまった。ライナットはさすがに驚いたが、中にいる人物にその驚いている顔を見せたくなくて無表情を装った。
しかし、それは無駄に終わった。
「……やはり」
似ている。
ーーーーー
ーーー
ー
部屋の中で静かに椅子に座っていた青年は疲労困憊だった。
(ここはなんなんだ。なんでこんなところに俺はいるんだ。そもそもなんで殺されないんだよ!)
故郷を離れ兵士となり戦場を駆け巡っていた青年は、気がついたら焼け野原に倒れていた。いつの間にか気を失っていたらしかったが、その惨状に吐き気を覚えた。
そこは死体が転がり、血生臭く焦げ臭かった。敵味方関係なく撫でていく風に乗って流れる異臭は尋常ではなかった。
(そうだ!探さないと)
青年は連れを探すために立ち上がった。死体を跨いではきょろきょろと辺りを見回すが、それらしき顔を見つけられない。
(死んでいてもいい。とにかく見つけないと!)
その情報を知って喜ぶ人がいる。死を知って喜ぶとは表現がおかしいだろうが、不明よりはマシなはずだ。遺品でもなんでもいいから渡してあげれば安心するだろう。
もちろん、一番良いのは生きて会わせてあげることだが。
しかし、いくら歩けど見つからなかった。肉体的にも精神的にも疲れが現れてきて、視界は霞むし足取りも重くなる。
力を振り絞って歩いていたが、そのうち足が止まってしまった。棒立ちのまま、座ることも歩くこともできなくなってしまったのだ。
朦朧とする意識の中、動く人影が最後に見えたが、その後はまったく覚えていない。
次に気がついたのは、牢屋の中だった。冷たい床に仰向けに寝ていて、手枷が付けられていた。少し動かせばジャラジャラと鈍い音を響かせる。
その音に見張りが気付き、抵抗する力が無いことを悟ると手枷を外した。そこまでは頭が重くだるかったが、冴えてくるにつれ周りがよく見えるようになった。
向こう側にも牢屋があり、鉄格子の向こうにはまだ十歳ぐらいの女の子がじっとこちらを見ていることに気づいた。その子は手枷どころか足枷まで付けられていた。
その視線を受け止めていると、女の子はいきなり呻き声を上げ始め、ついには叫び始めた。それはまるで、見られていることに逆上した獣のよう。
すぐさま見張りが中に入り、持っていた棍棒で叩いた。その光景を見ていられなくて目を背け音だけ聞こえていたが、叫び声も叩く音も止まり、ガチャンと鉄格子の閉まる音が聞こえた。
恐る恐る見てみれば、そこには倒れている女の子がいた。わずかに身体を痙攣させているが、動く気配がない。
青年はさっと顔を青ざめた。背筋は凍り、上手く呼吸ができなくなった。
(なんなんだここは……)
床の冷たさをより一層感じた瞬間だった。
その内、食事が運ばれてくる音が聞こえた。荷台を押しているのか、カラカラと乾いた音が響き渡る。
そして彼の牢屋の前まで来ると、その音は止んだ。ゆっくりと顔を上げてみれば、そこには見張りの格好をした男の姿があった。しかし、冷たさや殺気を感じるような目ではなかった。
「おい」
小声で声をかけられ、青年は虚ろな目で目の前の男を見上げた。
「ここから出してやるから、いっさい声を出すなよ」
その言葉に軽く首を振った。正確には、上げているのが億劫になって俯いただけなのだが。
牢屋から出され、長い廊下を背負われながら進んだ。いるはずの見張りは皆寝ており、難なく牢獄から出ることができた。
外の光が顔に当たり、眩しくて目を細めた。久しぶりに感じる、この温かさ。
「寒くないか?今着替えを用意するからな」
地面に下ろされると、彼は自分の足で力強く立って空を見上げた。新鮮な空気、人の生きている雑踏、鳥の声。
すべてが、素晴らしいものに感じられた。
しかし、囚人が着るような薄着なためくしゃみが出た。そこにさっきまでの見張りの服装から着替えた男が、彼の服を持って現れた。
「おまえはこれから自由だが、絶対に宿からは出させない。取り敢えずこれを着ろ」
渡されたのは普通の洋服とフードつきの長いポンチョだった。着替えをすませた彼を男はまた背負い、街中へと消えて行った。
ここでの男とは紛れもなく、今ライナットの後ろに佇んでいるガイルのことである。
ーーーーー
ーーー
ー
「あんた……それにおまえ……」
「似ているな。恐ろしいほどに」
ガイルに目を向けた後、青年はライナットに焦点を合わせた。その目付きは決して良い物ではなかった。
人を信用できない、戦をする者の目付き。
「確かに目の色と髪質が若干違うな」
「そうですね。しかしよく見なければわかりませんが……声もあまりお変わりありませんね」
「そこが救いだな」
「何の話をしているんだ!ここはどこだ?こんなところに閉じ込めやがって!それにおまえは誰なんだよ!」
「まあ、待て。これから全ての質問に答える」
青年はぜえぜえと肩で息をすると、浮きかけていた腰を椅子に戻した。怒鳴っただけでこれだけ疲れるとはよほどだろう。
体力さえ戻っていればこんなやつ、と青年は心で悪態をついた。
「おまえはガナラ出身の者で間違いないな?」
「聞いてんのはこっちなんだよ!俺の質問に答えろ!」
「息を乱しながら怒鳴るおまえの呼吸を整える時間を与えてやっているのがわからないのか?」
ふっ、と笑われてしまい青年はかちんと来たが、確かにこのままでは貧血と酸欠で倒れてしまうだろう。だからここは大人しくすることにした。
内心は悪態をつきながら。
「不満たらたらなのはわかるがな。それで、さっきの質問の答えは?」
「ガナラ出身だ」
「やはりな。ここはおまえの敵陣だ。つまり、おまえは今バドランにいる」
「は?んだよそれ!」
「だから落ち着けって」
身を乗り出した青年を手で制すると、ライナットは努めて明るく言った。これ以上怒らせては気の毒だ。
青年も頭を冷やそうと椅子にまた腰かけた。
「おまえはバドランの牢に捕らえられていたが、俺が外に連れ出させた。こいつを覚えているか?」
「……ああ。俺を出してくれた人だろ」
後ろにいるガイルを親指で示すと、ガイルは丁寧にお辞儀をした。青年はぶっきらぼうに答え、頬杖をついた。頭も重くなってきたようだ。
座っているのもきつくなってきたが、ここで弱音を吐いたらライナットに負けたように感じそうでなんとか堪えた。
「そして、俺はこの国の第三王子だ」
「……おまえが?温室育ちのぼんぼんかよ。まさにそんな感じだ。それに婚約もしてんのか?大層なご身分だな」
「おまえっ!」
「ガイル止めろ。どうせ今の発言を後悔するのはこいつの方だ」
「……それもそうですね」
堪らずガイルが声を張り上げると、青年は訳がわからず首を傾げた。
色々とわからないことが多すぎる。
ライナットは右手の薬指に光っている指輪をそっと撫でると、青年を見つめた。
「俺はおまえを、俺の影武者にしようと思っている」
「……は?なんだよいきなり。俺がやるとでも思っているのか?」
「立場を考えるんだな。ここはバドランでおまえは元囚人だしその顔だ。面倒事になるのは目に見えている。それに、これはおまえにとってはチャンスだと思うがな」
「チャンス?」
ライナットは目をきらりと光らせると、ここが肝だ、と全神経を集中させた。
その鋭さに青年はただならぬものを感じて頬杖をやめた。
「そうだ。幼馴染みに会いたいとは思わないか?」
「なっ……」
「彼女の名前も当ててやろう。その名はリオーネ=アラカルト。そしておまえはディンというやつだろう?違うか?」
「……っ!」
青年……ディンは隈の目立った目を見開くと、今度は睨み付けた。しかし動揺しているのかその効果はまったくない。
ディンはその後の話を聞くべく大人しく引き下がった。
「俺はライナット。婚約者はリオだ」
「リオ……だと?まさか脅しているわけではないよな?彼女は優しいんだ。何かを引き換えに従っているだけだろ」
「それはない。彼女自身の意志だ。何もしていない」
「嘘つくな!逆らったら殺されるように脅しているんだろ!」
「……生憎、その逆だがな。ルゥ、そこにいるのはわかっている。ちゃんと階段で降りてからここに来てこいつに説明してやれ」
ライナットが面白そうに口角を上げると、上からひえー、という声が聞こえてきた。そしてドタドタと靴音が遠ざかってまた近づいて来たかと思ったら、青ざめているルゥがバタンとドアを開けた。