*Promise*~約束~【完】


「ねえ、この話って皆は知らないってこと?」

「そうよ。バラモンがそうさせたのよ。なんでもかんでも悪魔のせいにして自分たちが悪いんだって思わなくなるからじゃないかしら」

「責任転嫁ってやつだね」



エリーゼに借りた本を返しながらリオは問いかけた。実際にバラモンにはまだ会ったことはないが、王様よりも身分が上だと知り納得する。

バラモンはパレスのどこかにいるようで、その姿はたまにしか見かけることがないそうだ。

その数も年齢も定かではない不確かな存在ではあるが、その神秘的なところが畏怖されて声をかけることも憚られる。

普段は上に伸びた帽子を目深に被り、杖を持ち歩き髪は長いという。それは男女問わずなようで、それがかえって近寄りがたい印象を生んでいる。

バラモンはバラモンとしか結ばれず、儀式の内容も門外不出らしい。どこでやっているのか、いつやっているのか……全てが謎のベールに包まれている。


そのためか、空気のような存在と化しつつあるようだ。



「いてもいなくても変わらないしわからないわ。見れば威圧感を感じるんだけど、この目に収めないと気配を感じないのよ。それがまるで生命を発散していない人形みたいで気味悪いわ」

「人形?生身の人間じゃないの?」

「そうだと思うんだけどね……わからないわ」

「ふーん。もしかしたら悪魔に魂を売っちゃったのかもしれないよ?魂を売って力を得ているとか」



リオは思い付いたことをなにげなく口にした。それを聞いてさっとエリーゼの目付きが鋭くなったのも気づかなかった。

それはエリーゼが一瞬だけそうさせたのであって、リオがそれを見逃したからなのだが。



「でもそれじゃあ矛盾しているわ。敵を強くさせてどうするのよ」

「契約してるんじゃないの?」

「……一体どんな?」



エリーゼの変化にも気づかずにリオは唸る。エリーゼは何か必死な感じでリオの言葉を待っていた。

その目は何かを追い求める狩人のそれで、しかし獲物がなかなか見つからずに彷徨いていたところに誰かと会い、獲物なら見たよ、とその場所を聞き出しているときの……

とにかく、焦っているような、狂っているような、そんな目付きだった。



「仮説なんだけどね。悪魔は本当は人間界には来れないんだけど、バラモンと契約をすることで人間界にやって来られる。契約をするには人間の魂が必要で、でもそれは悪魔一人に一つじゃなくて、定期的に一つとかなのかな、だって一つずつじゃバラモンの数が多くなっちゃうし……

それで、バラモンが悪魔に魂を売る理由は、バラモンになれば高い地位を得られるし、儀式の方法も知れるから。持ちつ持たれつって感じなのかな?」

「……つまり、バラモンと悪魔は手を組んでるってこと?」

「どうなのかな。仮説だし矛盾だらけだから真に受けないでよ」



リオがそう言うと、しばらく経った後にエリーゼが静かに切り出した。



「私もその続きを考えてみたわ。バラモンは魂を売って力を得られるけど、悪魔を殺したら殺されちゃうの。お互いに繋がってはいるけど、事実上は敵対関係なのね。そういうことを知られたくなくて、バラモンは私たち庶民との関わりを避けているのよ」



その静かなのに強気な口調に気圧された。何か確信を得たかのように断定的にものを言うから驚いたのだ。

しかし、エリーゼの意見は納得できるように感じられ、もしそうだったら……とリオは考えた。

善人は、天使だけになってしまう。



「バラモンも悪いってこと?」

「そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。でも絶対に悪魔の方が得してるわよね。悪魔はバラモンを殺せるけどバラモンは悪魔を殺せないんだもの。それにバラモンはあんな感じだから、本当に人間なのかも怪しいわ」

「会ってみたいけど、会いたくないかも」

「止めときなさい。関わらない方がいいわ。人間が関わっていいことじゃないのよ……」



最後の言葉は呟きとなり小さなものとなったが、リオにはしっかりと聞こえた。

人間と言うが、エリーゼも人間ではないか、とリオは違和感を覚えた。おかしいな、とは思ったが重要なことではないためそのことに触れずにしておいた。

リオは話題を変えるように明るく言った。



「明日、何着て行こうかな?寒いよね?」

「え、ええ。雪も降りそうよ」

「はー……っ」



部屋の外を窓から覗けば、空は曇っており寒そうだった。息をガラスに吹き掛ければたちまち白い曇りを作る。

しかし、すぐにすっと消えてしまった。



「スカート履きたい」

「珍しいわね。いつもスカートなんて履かないじゃない、ドレスだって裾が長くないと着ないのに。ライナット様に褒めてもらいたいの?」

「そ、そんなんじゃないもん……」

「どうかしら」

「うう……」



先日、ライナットから耳打ちされた約束。それは一緒に街に出掛けるというものだった。彼はマフラーのお礼に外に連れ出すことにしたのだ。

なかなか外に出してあげられていなかったため、リオを不憫に思いせめての気持ちとして一緒に街を巡ることを決めた。買いたい物があれば好きな物を買っていいと言われたが、彼女は断った。


なぜなら、その気持ちだけで十分だったからだ。



「何色にしようかな。冬だから温かい色?それとも冬に合わせた薄い色かな?」

「汚れない色でいいんじゃない」

「真剣に考えてよっ」

「考えてるわよ。街には子供だっているんだから、汚されても知らないわよ」

「子供かあ……最近会わないな。当たり前なんだけどね」



故郷の村にも少しだけだが子供がいた。商品を売りに中心部に近づけば子供たちのはしゃぐ声をよく耳にしたものだったが、徴兵令のせいですっかりその声も途絶えてしまった。

子供たちは、周りの空気に敏感に反応し、自分の立場をしっかりとわきまえてしまった。すなわち、母親の手伝いをしていたということだ。自分のことよりも家のことを優先するようになり、村の活気は低下していった。



「……戦争って、どうなってるのかな」



一番知りたかったこと。しかし、なかなか言い出せなかったこと。

今までその疑問を何度自分にしたことか。気にしていないと言い聞かせても、たちまちその不安が押し寄せて来る。波のように一時はその想いは引いたのだが、また押し寄せて来てしまった。しかもさらに強く。


じわりじわりと、心に迫って来る。



「戦争はどこかで起こってる。知らないうちに始まって、人が死んで、終わって……そんなのに意味ってあるのかな」

「戦う理由があるんだから一律に否定はできないわよ」

「そうなんだけどね……」



父親の安否が未だに不明であるため寝られない夜も何度かあった。心配で心配で仕方ないが、エリーゼたちにとっては他人事だから相談したいとは思わない。ただ、溜まった気持ちを吐露するのは許されることだ。

戦争にもしも悪魔が関係していたら、きっと自分は悪魔のせいにするだろうな、とリオは直感的に感じた。

人は話し合って笑い合って一緒に泣いて……分かち合わないと理解できないことが多い。医者だって治療はできてもその痛みを知ることはできない。患者も、その痛みを医者に与えることはできない。しかし、労り合うことはできる。


お父さんが帰ってきたら、温かく迎えてあげるんだ。頑張ったねって。ありがとうって。

その壮絶な体験は想像するしかできないけれど、お礼の気持ちを伝えることはできる。


ただ、今はその姿を知りたいのだ。



「ねえ、街ってどんな感じ?来たときって気を失ってたから近くで見てないんだ」



リオは邪念を振り払うかのように、後ろにいるエリーゼに向かって笑顔で振り返った。



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