*Promise*~約束~【完】
おデート
そして翌日、ライナットとリオは並んで城下町の通りを歩いていた。近すぎず遠すぎない微妙な間を開けて歩いているから見ていてじれったい。
と、ルゥは見ていて思った。
「護衛も務めだからね」
ライナットに護衛を任されルゥはかなり後ろから二人を追っている。それは屋根の上からで、一歩動けば羽休めをしていた鳥たちが驚いて飛び去ってしまった。
城下町の街並みは民家の間が狭く、通りが広いのが特徴だ。その通りに出店が軒先を並べ、住民は買い物を楽しみ、一度(ひとたび)そこに足を踏み入れればなかなか出て来られない。それは、街の賑やかさや商人に酔い、時間を忘れてしまうことに他ならない。
それは、彼女も一緒だった。
「うわ~っ。お店いっぱいあるね」
「おい、はぐれるなよ」
「わかってるわかってる」
ライナットはリオが立ち止まったり足を早めたりと歩調がまばらで落ち着かなかった。
リオにとって、この人の数と商品の品揃えは体験したことのない驚きの連続で、まるで童心に帰ったように心を弾ませた。老若男女問わず人が入り乱れ、声が飛び交い活気に満ち溢れる。
窓の中から覗いた地上と本当に同じ場所なのかと疑うほどだった。
「ライナットー!」
「やれやれ……」
本名で呼ばれライナットは苦笑した。少し前方を歩いていたリオは彼に手を振っているが、その様子は少しも自分のおかした失態に気づいていないようだった。
なんて呼ばせるか考えていなかったな、と彼はリオの隣に追い付いてから気がついた。
もしかしたら自分も浮かれすぎていたのかもしれない。
「本名は止めてくれ。騒ぎになる」
「あ、ごめん……そうだね。どうしたらいい?」
「好きなように呼んでくれて構わない」
好きなようにって言われても、とリオは困った。偽名なんてそうそうに思いつかないし、慣れるまでに時間がかかる。ついついライナット、と呼んでしまいそうだ。
頭を捻っていると、ふと思い付いた名前があった。その名前で呼んだら彼は怒ってしまいそうだが、今はその名前しか思い付けなかった。
私の幼馴染みの名前でもいい?とリオが勇気を出して言うと、ライナットは素っ気なく構わない、と答えたので呆気に取られた。
普通は他の男の人の名前を出せば少しは動揺するだろうに、ライナットはまったくその気(け)がなかった。会ったときも服装のこと言ってくれなかったし、とリオは半ばふて腐れた。
しかし、視界に黒いマフラーが入り心を落ち着かせる。彼だって、このひとときを楽しみたいはずなのだ。
「ライナ……ディン、お昼食べない?」
「何食うんだ?」
「ええっと……お口に合うもの?」
「俺はなんでも食うから安心しろ。それにダースの作る食事は至って普通だ」
「あー……確かに家庭的だね。ごめん、愚問だった」
ダースの食事は高級感はないが味は絶品で、食欲がないときでも残さずにぺろりと平らげられる。それほど食欲をそそる出来映えで、リオはダースの料理が好きになった。
ダースの作るような食べ物を出すお店はないか、とリオは歩きながら見つけることにした。
立ち止まっていたが、振り向いて歩き出したときに人とぶつかってしまった。後ろから来ていた人に気づかなかったのだ。
しかし、リオは転ばずにすんだが、小さい相手は尻餅をついてしまった。
「わあっごめん。痛かったよね」
「だぁいじょおぶぅ~……」
「……ホントに?」
涙を堪えながら答える男の子にリオは苦笑した。男の子なんだから泣かないの、というふうに言われているのか、必死に涙を堪えていた。
手を差し出して立たせてあげて、ズボンに付いた砂を落としてあげた。
「大丈夫か?」
「私は平気だけど、この子が……」
「こいつ、迷子だな」
「へ?」
「わざとぶつかって来たんだ。大人に話しかけられず心細かったところに、人の良さそうなおまえが通りかかったからな」
褒めてるんだろうか貶しているのだろうか、と思ったが、今問題なのは男の子である。この人混みで迷子になるのは仕方ない。
潤んだ大きな瞳で見上げてくる男の子に話しかけてみた。
「お母さんは?」
「……わかぁんない」
「あなたの名前は?」
「ライナット!ライナットだよぉ!」
「げっ……」
名前を聞けば、涙を引っ込ませて男の子は答えた。その意外な答えに思わずライナットは声を漏らした。しかしすぐに口元に手を当てて動揺を隠した。
リオも驚いていたが、男の子の言葉は途切れない。
「ママがね、王子様みたいな立派な男の子になーれってつけてくれたのぉー。それで、三番目の王子様が一番綺麗だからライナットってつけたんだよぉ!僕も王子様みたいなカッコイイ男になるんだぁ!」
「……な、なれるよきっと。いい名前だね」
「うん!」
二人の気持ちも知らずに男の子は元気よく頷いた。ちらりと当の本人を見上げれば、まあ確かにカッコイイよね、とリオは納得した。
性格はよくわからないけれど、と心の中で付け足して。
男の子はその後は調子を取り戻したのか、ペラペラと今までの経緯を話し始めた。それによると、母親が会計をしているときに暇だったため、少しの間だけと思って向かい側の店を見ていたら夢中になってしまい、満足してから元の店に戻ると母親がいなくなっていたらしい。
母親は多分息子がいなくなって慌てて探しに行ったに違いないが、男の子は気づいたのか頬を膨らませた。
「迷子はママの方じゃんかぁ」
「そう、かなあ……」
「ぜえったいそうだよぉ!」
「ライナットは年いくつ?」
「三つ!」
男の子はかっこよく指を三本立ててリオに見せた。三つならこの舌足らずの言葉も納得がいく。
しかしライナットは気に入らないのか、そっぽを向いてこちらの会話に耳を傾けていた。
なぜなら、二人の間を裂くように男の子が間に割り込んで歩いているからである。それを護衛は密かに意地悪そうに笑っていたのだが。
見られているだろうな、とライナットはそれを気にして余計に虫の居どころが悪くなっていた。
「お母さんは何色の服を着ているの?」
「ええっとね、ピンクの大きなお洋服!お腹に赤ちゃんがいるんだよぉ!僕もあとちょっとでお兄ちゃんになるんだい!」
「お兄ちゃんになるの?凄いねぇ」
「へへん!」
男の子は恥ずかしかったのか、鼻の近くを指で擦った。しかしリオは内心穏やかではなかった。
不安やストレスは妊婦には酷だ。妊娠中の牛を扱う際も、機嫌を窺ったり餌に気を付けたりととにかく難しかった。
それに、まだ妊娠初期は特に細心の注意が必要だ。お腹の中では脳や心臓といった重要な機関が先に発達し始める。もし探し回っていて転んでもしたらたいへんだ。
リオは男の子の手を引きながら、ピンクの服、ピンクの服、と目を光らせた。さらにお腹にも注目して、該当する女性を見つけなければならない。
「お姉さん、歩くの早いよー!」
「あ、ご、ごめん。つい」
「お兄ちゃんいなくなっちゃったよ」
「え……」
それを聞いて我に返り横を見れば、確かにそこにいるはずの彼がいなかった。周りを見渡すがそれらしき人影がない。
彼とはぐれるなんてこれっぽっちも思っていなかったリオは途方に暮れた。しっかりしている彼がいなくなった。それはリオの心を押し潰した。
急に、周りの音が小さく、遠くなった。
「お姉さん?」
変化に気づいたのか男の子が手を引っ張るが、リオはそれどころではなかった。
一人の孤独。
皆、いなくなってしまう。
燃え盛る炎がフラッシュバックして、リオはぎゅっと目を瞑った。それと同時に手のひらもぎゅっとなり、男の子はその力に不安になった。握られている手のひらが別の人のように気持ち悪く思え、咄嗟に小さい手を引っこ抜いてしまった。
男の子に悪気はなかったのだが、その行為はリオに絶望を与えた。気づいて見下ろせば、眉間にしわを寄せてじっと見ている男の子がいた。温もりが消え、ある想いが彼女の心を蝕む。
もしかして、私のせいなの?
気持ちが急降下しているところに、救いの手が彼女の手のひらを包み込んだ。
「見つけた」
リオが後ろを振り返れば、彼が息を切らして手を取っていた。思わず泣きそうになるが、男の子がいる手前そんなことはできない。
「ルゥに探してもらった。ついて来い」
しかし、彼女は動けなかった。手を引っ張られても微動だにしない。
ライナットがその俯いている顔を覗き込めば、なんともいえない表情の彼女がいた。