*Promise*~約束~【完】



声をかけることも憚られるほどの、苦悶の表情だった。泣いているのか怒っているのかそれとも何も考えていないのか……

ライナットはしばらく思考を巡らせると、おもむろに首に巻いているマフラーをとき、彼女の首に巻き付けた。

リオは一瞬肩をビクッとさせた後、初めてライナットを見た。世界に色が戻ったような、そんな瞳だった。

何があったのか聞きたいところだが、男の子を母親に引き渡す方が先だったため無言でリオの腕を引っ張り歩き出す。リオも違う方の手で小さい手のひらを握ると三人一緒に歩き出した。

ライナットが人混みの中に作った道を進む。その広くて近い背中を見つめながら、リオは安心した。

いなくなってない。ここにいる。

そして、開けた広場に着いたと思ったら男の子がリオの手から離れて駆け出した。



「ママっ!」

「私の坊や!ああ、良かった、良かった……」

「ごめんなさぁいー!」



駆け出した先にはピンクの服を着たお腹の大きい女性が立っていた。彼女に飛び付くと男の子は泣きながら大声で謝った。我慢していた涙が今になって溢れて来たのだろう。

しばらくその光景を遠目で眺めた後、ライナットが踵を返したためリオも立ち去ろうとした。しかし、男の子の元気な声に遮られる。



「お姉さんありがとぉー!」



その言葉と一緒に手を振られて、こちらも手を小さく振り返した。自然と口元は綻び、会えて良かったね、と笑いかける。手を振る男の子の後ろでは、何度もペコペコと頭を下げる母親の姿があった。

ライナットと軽く頭を下げてから踵を返して二人に背を向けた。


ほっこりとした気分で広場から出ると、急にライナットに腕を引かれ細い路地へと連れこまれた。驚いて彼の顔を見上げると、眉間にしわを寄せていた。

怒らせるような心当たりがなくて首を傾げると、彼はため息を吐いて瞳を覗き込まれた。



「俺がいなくなってから、何を考えていたんだ」

「それは……」



リオの瞳が動揺でぶれて、ライナットから視線がずれる。逃がすまいと彼は彼女の頬に手を添えた。

今日になって初めてのその近さに息を飲んだ。お互いの白い息が顔すれすれを漂う。

リオはこれ以上は……と思い一気に吐き出した。



「いなくなったから……いなくなったからパニクったの!私の周りの人がどんどん離れて行っていつかは皆いなくなっちゃうって!それは私のせいなのかなって……っ!」

「バカだな……おまえは」



声が震えだしたときに、目の前に影が落ちて温もりが広がった。それにすがり付くようにすれば、上から掠れた声が耳元をくすぐる。思わず身動ぎをすれば、少しだけ隙間が開き余裕ができた。

その余裕が涙腺をも緩くさせた。


マフラーがさらに黒く染まる。



「バカだ。おまえのせいなわけないだろう」

「仕方ないじゃん……いなくなってくんだから」

「いなくなってないだろ?ここにちゃんといる。この指輪に誓ったんだ」

「指輪……」



右手に指を絡められ、もう身体の一部となったリングに今さら気づいた。

指輪。それは証。

誓うことは、つまりは契約。契約とは時に邪魔になるが、今はこの縛りが心地よかった。。


彼は契約を護っている。しかし、自分はどうなのだろうか。疑ってばかりで、信じられなくて、自分で自分を責めて、勝手に落ち込んで……

こんなの、迷惑なだけだ。



「ごめんなさい……」

「まあ、俺も勝手にいなくなって悪かったな。ルゥを探すのに手間取った」

「ルゥがいるの……?」

「護衛は必要だから仕方なく頼んだ。本当は護衛なんか無しで二人でどこかに消えたい気分だ……王子なんかに産まれたから不自由なことばかりだ」

「でも、私は毎日が楽しいよ。エリーゼがいて、ルゥがいて、ダースさんがいて……ライナットがいて。だから、皆いなくなると思ったら世界が色褪せて見えて何も聞こえなくなったんだよ」

「そうか……本当に悪かったな。さ、お詫びに取って置きの店連れてってやる。昼食いに行こう」

「うん!その前にマフラー返すよ」

「おまえのそんな顔、他のやつに見せられるかよ」

「そっくりそのままお返しします。バレたら面倒なんでしょ?」

「まあな……じっとしてろ」



ライナットはそう言うと、マフラーをいったんほどくと隣に並んで自分とリオの首に巻き付けた。肩と肩が触れあいこっ恥ずかしいが、離れようにもお互いの首が絞まってしまうためそれができない。

頬を赤くさせて俯いていると、手を取られて行こう、と促された。黙ったまま頷いて並んで歩き出す。


やけに、手が熱く感じられた。



「ひゅーっ。やるねー王子様。大胆なのは嫌いじゃないよ」



遅々として縮まらなかった二人の距離がぐっと近づいて、部下の一人はそれを温かい眼差しで眺めた。


マフラーが歩く度にゆらゆらとたゆたっていた。


ーーーーー
ーーー



「いらっしゃいませー……おお、久し振りのやつが来たと思ったら女連れかよ」

「なんだその言いぐさは」

「珍しいこともあるもんだと思ってな」

「大きなお世話だ。何か出してくれ」

「はいよ。ちょいと待ってな」



ライナットと一緒に来店したところは、普通のお食事処だった。接客係の男性が現れたと思ったら、ライナットに気さくに話しかけてきた。

彼はライナットの言葉で奥に引っ込むと、まもなくしてトレーに食事を載せて戻って来た。ピークをすぎた時間帯で客が少なく、男性は向かい側に座っているライナットの隣に座った。

そして、しげしげとリオを眺めた。



「どういったご関係で?」

「惚けるのも大概にしろ。気づいているんだろうが」

「指輪がキラキラ目立ってます」

「おまえなあ……」



ライナットの手を取って男性は囃し立てるように持ち上げた。それに呆れたようにため息を吐くと、バッと振り払った。

それにクスクスと笑っていると、男性も笑ってメニューの説明をした。



「外寒かったろ?だからあったかいもん作ってやったよ。ゴロゴロ野菜のシチューだぜ。俺の得意料理さ。まあ温めただけだけど」

「シチュー!大好きです」

「こいつとどっちが好き?……イテーな何しやがんだ小突くんじゃねーよ」

「愚問だからだ」

「おーおーおー自信たっぷりじゃねーか。で、どっち?……ッつー!足踏むんじゃねーよ!」

「自己紹介してやれ。そのうちに食うから」

「俺の話聞かない前提かよおまえは」



男性の言葉を無視してライナットはシチューを食べ始めた。リオはどうしようか迷ったが、眼下を漂う匂いと蒸気に堪えられず、木製のスプーンを手に取った。

男性はおいおいおい、と思ったが、一口含んだ後の表情を見たら文句は喉の奥に引っ込んでしまった。


自分の作った料理を美味しそうに食べる人に言う文句などどこにもない。



「どいつもこいつも……俺はこの店の跡取り息子さ。今は店番してる。料理も作れるっちゃー作れるが、まだまだ見習い中さ。んで、こいつは昔はよくここに来てたもんだ。最近はめっきり減ってたが、きみを連れて来てそりゃーびっくりしたね」

「これで見習いなんですか?!美味しいのに……」

「二十歳になるまではまだまだだって親父に言われたんだ。あ、俺十九ね。こいつと同じ年さ」



こいつ、と男性はパンをシチューに浸して食べているライナットを親指で指した。指された彼はそれを無視して黙々と食べている。



「こいつがこの店に来始めたのは二年ぐらい前でさ、なのにちっともこいつ変わってねーの。今も相変わらずクールだろ?」

「……え、はい」

「だってよ。クールかどうかもわからないってさ。間が開いたのはそのせいだ、もっと接してあげろよ彼氏さん」

「そんなつもりじゃ!」

「いいっていいって。こいつは言わなきゃなんもわからないんだから。もっとガツンと言わないとわかり合えできねーぜ」



お喋りをする。それは婚約指輪をもらったときにも話したことだった。言葉にしないとわからないことが多いから、少しずつでいいから話をしよう、と。

口下手な彼をフォローするのは自分だけなのだ、とリオは改めて思った。


ーーーーー
ーーー



シチューを食べ終え男性にお礼を言うと、リオは一番気になっていたことを隣を歩いている彼に聞いた。



「名前、教えてないの?」

「まあな。俺もあいつの名前を知らない」

「なんで?」

「匿名の方が気が楽だからだ。それに俺はお客さんだ、わざわざ教えてやる義理もない」

「そっか……」



店に着く前にマフラーは彼に返却され、今は手のひらの温もりだけを感じている。それでも、街に入った直後のようなぎくしゃくとした雰囲気はない。

逆に、このぐらいが心地よく感じられる。


リオが何気なく店先に並んだ商品を眺めていると、ニット帽がずらりと並んでいる店があった。そこに目が釘付けになる。

実は、ニット帽はまだ作った経験がなく、いつかは作ってみたいと思っていたのだ。



「いらっしゃい、お嬢ちゃん」



ニット帽を売っているのは優しそうなお婆さんで、リオが興味津々に近づけば目尻にしわを寄せてゆっくりと笑った。

もしかしたら……と思って聞いてみた。



「あの、全部手作りですか?」

「そうだよ」



これまたゆっくりと答えて頷いた。リオは尊敬の眼差しでお婆さんを見やる。



「私も編み物はよくするんですが、まだ帽子は作ったことないんです!」

「おやおや、こんなに可愛らしいお嬢ちゃんが編み物かい?」

「はい!それで、帽子を編むのって難しいですか?」

「なんなら一つ、持って行くかい?」

「おいくらですか?」

「お金なんていらないよぉ。あたしゃこんなに若いお嬢ちゃんが編み物をしてるってことだけで幸せさね。どれでも作りたいと思ったものを持ってお行き。さーびすってやつだよ」



お婆さんは茶目っ気たっぷりにウインクすると、これなんかどうだい?と色々とかき集めてくれた。

悩んだ挙げ句、ピンクの帽子のてっぺんに赤いボンボンが付いている帽子にした。お婆さんに作り方のコツを念入りに何度も聞いてから、試しに被ってみた。



「若いっていいねぇ。あたしにゃピンクなんて合わないよ。大事におしいよ」

「はい!ありがとうございました!これを見本にして作ってみますね」

「はいはい」



何度も頷くお婆さんに手を振ってから別れると、ライナットがいつの間にか隣に立っていた。話している最中は、俺は他のところに行っているから存分に話していい、と気を使ってどこかに行っていたのだ。

ライナットはリオの頭に手を伸ばして、少し偏っていた帽子の位置を直した。



「買ったのか?」

「違うよ!もらったんだー。編み物してるって言ったらくれたよ」

「優しそうな婆さんだったな」

「うん!」



リオは上機嫌にライナットの手を取ると、自分から指を絡ませた。彼も答えるようにしてそっと握り返した。二人の周りだけ、ほんのりと温かな日差しが差しているように見えたが、実際は空は曇っていた。

その空から、白くて軽い物がふわふわと落ちてきて地面を濡らす。



「あ、雪だよママー!雪!」

「あらホント」



すれ違った親子が歓声を上げた。それで気づいた通行人たちも次々と声を漏らす。



「雪かあ。本降りにならないうちに帰ろうか」

「寒くなるからお家に帰ろうね」

「雪だるま作るー!」

「これからどんどん積もるぞ」



口々にそう言って、人々は足を早めた。雪は雨ほど厄介ではないが、寒くなるのは事実。衣服も外にいればいるほど濡れるため、帰るのが妥当だろう。降っている雪の様子を見て店仕舞いをするところもちらほらと見受けられた。



「私たちも帰る?」

「どうしたい?」



質問に質問で返され、リオはライナットを見上げた。




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