*Promise*~約束~【完】
その瞳を見つめたとき、さっきの質問には意味が含まれているのだと知った。
帰れば、こうやって自由にしていられない現実に戻ることになる。そして何より、二人でこうしていられるのも終わってしまう。
リオは見つめた瞳をそのままに、はっきりとした声で答えた。
「積もってきたら帰る」
「そうだな」
ライナットはそれに頷くと、空を見上げて降ってくる雪を眺めた。それにつられてリオも見上げていると、彼は行く宛もなくぶらぶらと散策することにした。
幸い、今ので約束は護られたから。
「行くか。街を回ってから帰る」
「わかった」
リオは嬉しそうに頷いて、ライナットの隣に肩を並べて歩いた。
そんな仲睦まじい姿を、ある一軒の建物の窓から二つの目が切なそうに見下ろしていた。
「リオ……無事なんだな」
その人物は窓から顔を離すと、目頭を指で押さえて肩を震わし始めた。
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ーーー
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「で、何その猫」
「ええっとね……拾った」
「見りゃわかるわよ」
「雪降ってる中でぶるぶる震えてたから可哀想だなあって……」
「そんな理由で連れて来ないでよね。ライナット様はなんて?」
「好きにすれば、って……」
「ライナット様まで……あんたもお人好しよね。私は面倒見ないけど、汚いから洗ってくるわよ。文句ある?」
「ありませんありません、ありがとうございます!」
帰り道に途中、木陰で黒い猫を見つけた。その瞳がリオを捉えると、金縛りにあったかのように彼女は動けなくなってしまった。
そのつぶらな瞳に見つめられ、自分の中の良心が訴えかけてきて我慢ならずに近寄った。猫を抱き抱えると、安心したのか猫はゴロゴロと喉を鳴らし始めた。
ライナットを振り向けば、呆れているように見受けられたが深く言及せず、好きにしろ、とだけ言われた。リオはその言葉に安堵し、抱えたまま北の塔に戻れば、上から様子を見ていたのか怖い顔のエリーゼが待ち構えていた。
ライナットは後から戻ってきたルゥと合流すると、リオをちらりと見てからどこかへと歩いて行ってしまった。どうやらエリーゼをどうこうしてあげよう、という気はないらしい。
そんな彼に白状者!と言いたかったがぐっと堪え、エリーゼの気がすむまで彼女の言いなりになることにした。口答えしても負けるのは目に見えている。
エリーゼは猫をリオから引き離し廊下を歩いて自室に連れて行くと、お風呂場にぽいっと投げ入れた。
猫は優雅に着地すると、エリーゼを鋭い目付きで睨み付けた。エリーゼも対抗するかのように見下ろす。
「なんであんたみたいな使い魔がここにいんのよ。誰の手下?行動しだいじゃ冷水ぶっかけるわよ。あんたらは冷水が弱点なんだから」
エリーゼはきつい口調で、シャワーを片手に黒い猫を脅した。猫はニャッと短く鳴くと、ドアをカリカリと引っ掻いた。
ここから出してくれ、と言っているようだ。
「答える気がないのなら、今すぐ水かけるわよ。水を浴びるってことは沐浴と同じだから、あんたらにとっては毒よね?わかってるの?あんたは今袋のネズミなんだから」
ずいっと近づいてしゃがみこめば、猫はシャーッ!と毛を逆立てて威嚇した。
やれやれ、とエリーゼはため息を吐き、手を伸ばしてシャワーのノズルを回した。
飛び出た水は猫の頭上から降り注ぎ、全身をずぶ濡れにさせた。猫は悲鳴をあげながらお風呂場の隅から隅まで走り回った。それを褪めた目付きで眺めながら、エリーゼはタイミングを見計らうとその首根っこを掴んで持ち上げた。
猫はジタバタともがきながら涙を浮かべている。
「さっさと答えればこうならなかったのに。水が熱いんでしょ?変よね、冷水なのに火傷するなんて」
「シャーッ!シャーッ!フーッ!」
「言葉でちゃんと言ってよ……ってまさか!バラモンのせい?!」
エリーゼはあることに思い当たって、シャワーをお湯にしてから猫にぶっかけた。猫はたちまちびしょ濡れになり、ポタポタと水滴を垂らしながら呆然と四本足で立っている。
そんな猫をタオルで包むと、ゴシゴシと擦ってからお風呂場を出た。部屋の椅子に座り猫をテーブルに乗せると、水気をタオルでよく拭いてあげた。
「バラモンが何かしてるのね……使い魔なんてここで見かけたことなかったから気づかなかったわ」
「ニャー……」
「悪かったわね。口封じの結界でも張られてるのかしら……そうだとしたら、私たちに使い魔から流出するのを防いでいるとしか考えられない」
猫はタオルを下敷きにすると、自身の身体の毛を舌で整い始めた。その様はまさに猫そのもので使い魔の経験が長いのだと悟った。
演技も時間が立てばそのうち定着してしまうものなのだ。
「あんたは悪いやつ?それとも良いやつ?」
「……」
「目的もわからないんじゃ、下手に手出しできないし……しばらくは様子見をするわ。私はあんたを生かしてあげる。でも覚えておいてよね、いつでもあんたをあの世に送れるってこと」
「……ニャッ」
「あんたを拾ったのはリオーネよ。私の主の大切な人だから、何かしようものなら容赦しないわ。いい?」
その言葉に猫は頭を下げると、ピョイっとテーブルから降り立った。
この猫が何を考えているのかはわからないが、余計ないざこざは避けるために生かしておこう。悪魔を怒らせるほど、厄介なことはない。
それに、使い魔は利用されている側だから、無駄な殺生は避けたいのだ。
(悪魔やバラモンを知るきっかけになるかもしれない)
エリーゼは野心を宿した瞳で、前を歩く猫の背中を睨んだ。黒い毛は艶々とした光沢を放ち、大事にされている使い魔だと一目でわかる。
扱いがすさんでいると、毛並みもボロボロでボサボサなのだ。
この使い魔の主は一体何者なのか……その意図とは何なのか、エリーゼには全くわからなかった。
「あ、猫ちゃん綺麗になったね」
「もともとは綺麗だったのよ。何をどうしたらあんなに汚れるのかしら」
座っていたリオの膝に飛び乗ると、その黒い毛並みを見せびらかすかのように丸くなった。
その背中を撫でながらリオは言う。
「動物に触ったの久し振りなんだ。やっぱり癒されるよねえ」
それがライナットの意向なのだろう、とエリーゼは呆れた。リオが寂しい想いをしないようにわざと猫を持ち帰ることを許したのだ。
(子供におもちゃをあげるんじゃないんだから……)
軽い気持ちで動物を拾うと痛い目に合う。それが使い魔であってもなくても同じだ。
リオのことだから面倒を見るのは慣れているだろうが、この猫が何をやらかしてくれるか考えたくもない。
エリーゼは、猫を抱き上げてブラブラと揺らしているリオを見ながらため息を吐いた。あんなに至福の顔をしている人にはそんなことが言えるわけもなく……
「面倒はちゃんと見なさいよね」
「あー!見てよエリーゼ!この子オッドアイだよ、綺麗だよ」
揺らすのを止めて猫の顔をこちらに向けられると、確かに瞳の色が左右違うことに気がついた。気にして見ていなかったため全然気づかなかった。
右は金色、左は緑色をしていた。
そのくりっとした二つの目がエリーゼを見ていて調子が狂う。邪気のない無垢な瞳に吸い込まれそうだ。
エリーゼは慌てて踵を返すと、ドアを開けて部屋から出た。
(やっぱり、普通の猫じゃないわ)
何か魅了されるような、洗練された風格をエリーゼはそこに見たのだった。