*Promise*~約束~【完】

交錯




リオはライナットのいない北の塔で、一人編み物をしていた。

その手には作りかけのニット帽。

しかし、両手の編み棒は毛糸が巻き付いたまま動かない。その瞳は、じっと窓の外に向けられていた。

まるで、何かを待つような……


実は、ライナットは今偵察に赴いている。冬がさらに厳しくなり、そろそろ年末が見え隠れしているこの時期に彼は遠征を余儀なくされた。

それはリリスの命令だった。まだ王の様子を掴めていないこの状況において、これは彼にとっては不都合だった。キングが不在のチェス盤など、ただの木目に過ぎない。ポーンがいくらたくさんいようとも、司令塔がいなければその役目は果たされないのだ。


クイーンは、キングの帰還をじっと待っている。


止まっていた手に意識が戻ったのは、ムギが構ってほしいと膝の上に乗ったときだった。その色違いの瞳に見つめられ、リオはとっさに視線を逸らしてしまった。

何でも見透かされそうな、そんな澄んだ瞳。心の不純なものを何も持っていないかのような、純粋で無垢な金色と緑色。

健気に育つ麦が力強く地に根を張っているのに対し、自分はどれほど立ち止まっているのだろう。


この帽子が完成したときに彼は帰ってくるのか。それとも、完成してしまったら彼はいなくなってしまうのか。最後というのはなぜか、最期を思わせる。

それが怖くて、リオはずっと立ち止まっていた。前を進む彼の背中を追いかけたくても、いざ追い付いたらそれは単なる幻だった……と思うと、自分は何をしていたのかわからなくなってしまう。

目指している目標を目の前にして、確かめる勇気がないのだ。


リオは悶々としているわだかまりを吐き出すように、深いため息を吐いた。

すると、編み棒を掴んでいる手の甲にポンと足を置かれた。

視線を少し上げれば、こちらをじっと見上げているムギが映る。それはまるで、ため息を吐いたら幸せが逃げちゃうぞ、と言っているようだった。


リオはそうだね、と思い編み棒を離して手のひらでその前足を握った。ムギは嫌がる様子もなく、ゆっくりと瞬きを一度すると、手はそのままに身体を横にさせて丸くなった。

とことん彼女にくっついていたいらしい。

その様子が嬉しくてリオは少し笑った。


それが彼がいなくなって三日目にして、初めての心からの笑みだった。


ーーーーー
ーーー



「とうとう俺を消しにかかったか……」



その頃、ライナットは数人のリリス直属の部下と一緒に国境付近の山道を馬で駆け巡っていた。

リリス直属の部下とは、リオの故郷の事故のときに連れていた部下たちのことで、リリスに命じられてライナットに従っている兵士たちだ。


その兵士たちから、剣の切っ先を四方向から囲むように向けられている。



「確かに接近戦は好きじゃない」

「愚かな王子よ、ここで尽きるが良い」

「愚かなのは、果たしてどちらなのか……」



ライナットは僅かに吹雪く山道にその足で降り立つと、馬から僅かに離れた。

ザクッと靴が雪を踏む音が聞こえ、続いて、鞘から剣を抜き取る金属音が鳴る。しかし、風の音と雪のせいでそれが響くことはなかった。


ゆっくりと片手で抜き取ったライナットは、その先を下に向けて一歩前へ進んだ。

その表情は風でなびく前髪によって見えず、黒いマフラーによって口元も確認できなかった。

だから兵士たちは気づかなかったのだ。

その口元に、微笑が浮かんでいたことを。



「ここでくたばれ愚か者よっ!」

「……ふっ」



その言葉を合図に四人の元同胞たちはライナットに襲いかかった。ライナットは目の前の敵に真っ先に向かって行った。

目の前の敵はライナットの攻撃を受け止めると、ヒュンと剣を振りライナットを後ろへとよろめかせた。そして、瞬時に他の兵士たちが好機だと襲いかかる。


しかし、ライナットはよろめいた反動を活かして剣を勢いよく回転させると、周りの兵士を凪ぎ払った。

ある者は近すぎたため脇腹を、ある者は手首を、またある者は太股をそれぞれ血で濡らした。

その真っ赤な雫石は、白い地面に花を咲かせた。季節外れの真っ赤な花が大輪となる頃、二人の兵士はそれに反して顔色を悪くさせどうと崩れた。


残された二人の内の一人の兵士は、負傷した手首をもろともせずに切りかかり……自滅した。

最後の一人は恐怖に駆られながらも言葉にならない奇声を発して、息絶えた。


ライナットは強くなった吹雪を受けながら剣についた血を振り払い、あるべき場所に収めた。

顔に付いた赤いものを手の甲でグイッと拭えば、とたんに我に返る。そして、マフラーと馬の無事を確認して深いため息を吐いた。



「だから接近戦は嫌いなんだ」



自らの手が命を奪うその瞬間を捉え、返り血を浴びて赤く染まる。

そして何より、自分が獣になったような錯覚を覚えるのが嫌だった。何も考えず、ただ殺すことしか考えていない歓喜に酔う獣。

裏を返せば防衛本能が働いていると言えるが、それは言い訳に過ぎない。


この手で、彼女に触れる権利はあるのか。


何かに操られたように戦っている自分。でも操っているのは紛れもなく自分。



(俺は……俺が嫌いだ)



いっそ、操られていた方がマシだ。こんな俺を好きになっても、良いことなんて一つもない。だが、俺はおまえが好きなんだ。

そんな想いが彼の心を締め付け、触れようとすればたちまちストッパーをかける。冷静であればあるほど、そのストッパーは強くなる。


そのもどかしい感情に、ライナットは天を仰ぎながら気がすむまで赤く濡れている手のひらをかざした。


ーーーーー
ーーー



エリーゼは一人、敵の真っ只中に侵入していた。

ここはパレス。リリスが手中に収める箱庭。

彼女は今、メイド姿ではない。闇夜に紛れる黒装束の格好だ。これが、現役時代の服装。しかし、暗殺をするためにここにいるわけではない。


足音をいっさい立てずに気配を消し周りには目を光らせて、不穏な空気を感じれば用心のため身を潜める。

そうして向かった先には、部屋のドアから漏れる明かり。


その部屋は、リリスの部屋だ。


彼女はなんと、ライナットに命令されていないにも関わらずこのような真似をしている。それは、知りたいことがあったから。

リリスの素性はどんなものなのか一度は見ておきたい。

そんなことのために、危険を省みずに無謀にも一人で侵入しているのだ。エリーゼはルゥに劣らず闇に紛れるのが上手いため、リリスもまた気づいていないようだった。


僅かな隙間から覗き込めば、何かぶつぶつと呟き、跪き胸の前で指を組んでいるリリスが目に入った。

そして、その目の前には杖を持っている怪しい人。

それは紛れもなく、バラモンの格好だった。



「……失敗しました」



バラモンが無機質な女の声でそう言うと、リリスは呟きを止め女を見上げた。

その瞳は怒りに燃えているように見えた。


リリスは立ち上がり女を大声で怒鳴る。



「失敗した?!おまえが負けたのね?!」

「……向こうの力が想像以上だったということです」

「くそっ!あのガキが最近うろちょろと嗅ぎ回っているのはわかっているのよ!それはおまえらにとっても不都合でしょう!」

「はい。こちら側としても邪魔な存在になりつつあります」



顔を真っ赤にさせて怒るリリスをよそに、女は口調を変えずに答える。

女はリリスから半歩離れ距離を取り、杖でダンッ、と強く床を突いた。

その音にリリスはびくりと身体を震わせると、驚いたように女を見やった。



「失敗は私だけの責任ではありません。あなたの念がまだ足りないということでもあります」

「……なんですって?」

「私はあなたを怒らせようとしているのではありません。手を組んでいる以上、協調性がないと成功へ辿り着けないでしょう」

「ふん、生意気なのよ。おまえが死ぬ気でやればあんなガキ造作もないでしょう?さっさと殺らないと、おまえの立場も危なくなるわよ」

「肝に命じておきます」



リリスは腕を組んでイラついたように指で腕を叩くと、見下すように女を罵った。

女は軽く丁寧なお辞儀をすると、杖を持ち上げて部屋から出ようとこちらに歩いて来た。

エリーゼはバレてはまずいと素早く身を翻し、闇の中に紛れて行った。


ドアを閉めてエリーゼのいなくなった廊下に佇むと、女はクスリと笑みを漏らした。

そして、エリーゼが先ほどまで潜めていたところを見つめると、そこを杖でわざと突いてから歩き出した。



「邪魔なネズミがもう一匹……全部で三匹」



そう呟いた女は、不気味な笑みを浮かべてリリスの部屋から遠ざかって行った。

杖が床を突く音が、廊下にこだまする。


ーーーーー
ーーー



「エリーゼ、昨夜(ゆうべ)はどこ行ってたんだ?」



ルゥは廊下を歩くエリーゼを見つけて声をかけた。

エリーゼは迷惑そうに振り返ると、ルゥが追い付くのを待ってから口を開いた。



「なんでそんなこと聞くのよ」

「いや、部屋行ったらいなくてさ」

「勝手に入らないでくれる?」

「だって気配消してたらいてもわかんねぇじゃん。だから念のため」

「あんたが来たら気配出すわよ」

「だから念のためだって!そう目くじら立てるなよ!」



いつになく冷たいエリーゼに気圧されたルゥは、手を目の前で勢いよく振って潔癖であることを証明した。

変な気を起こして入ったわけではない、と。



「今度入ったらそのうるさい口塞ぐから」

「わかりました!……それで、どこ行ってたの?」

「野暮用。あんたに言う必要なし。それにあんたも用があったんじゃないわけ?」

「言う必要なしってひっどいなあ!……ライナット様が昨日襲われた」

「っ?!」



ふざけた口調から一変して低い声を出すと、エリーゼは目を見開いてルゥを見た。

すぐに目付きを鋭くさせてルゥに詰め寄る。



「素性は」

「あの女の部下四人。人気のない雪の山道で囲まれた」

「なぜすぐに行動を起こさなかったのかしら……三日経ってなんで今頃……」

「さあね。人気のないってところがポイントじゃないかな」

「何にせよ、隠蔽したかったのね。あの女は本当にいけ好かないやつだわ……あっ!」

「ちょ、何いきなり?」

「関係あるかわからないけど……」



エリーゼは周囲に誰もいないことを確認すると、声を潜めて昨夜のリリスのことを話した。

ルゥは最初呆れて聞いていたが、肝心なところに差し掛かると息を呑んだ。



「それってちょー怪しくね?」

「ええ。特にあのバラモン……なんで敬語だったのか気になるわ。リリスに対して位が上なんだからあんなに平伏しなくてもいいはず」

「バラモンは皆そんな感じなんじゃないの?神聖な感じのミステリアスな集団だから」

「とにかく、ライナット様の帰還を待つまでね。その情報はやっぱりガイル?」

「そうそう。ライナット様がガイルの情報網に流したって感じみたい」

「……そう。情報ありがとう」



リリスはお礼を行ってルゥから離れると歩き出した。

その背中にルゥは声をかける。



「リオには?」

「……言わないわよ」



ちょっと立ち止まってからそう答えると、用済みだと言うようにエリーゼは足を進めた。

スカートのフリルがいつになく大きく揺れている。


その様子を見てルゥは心配になった。



「あんまり感情的になるとコケるよ」



ルゥはそう呟いてから、エリーゼとは反対方向に歩き出した。

そして二日後、ライナットが一人で北の搭に帰還した。



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