*Promise*~約束~【完】



「あんの女狐め……」

「お怪我は?」

「ない。俺が負けるわけないだろ」



ライナットは自室の椅子に座り溜まっていた書類に目を通していた。

その前にはルゥとエリーゼがその様子を見下ろしていた。

しかし、二人にはわかっている。


ライナットは今、虫の居所が悪い。どう切り出そうか二人で顔を見合わせて様子を窺う。



「リリスについて何かわかったか」

「いえ、特には……」



流石に無断で侵入したことは言えず、エリーゼは言葉を濁した。その不自然さに瞬時に気づいたライナットはエリーゼを横目で見る。

そして、黙ったまま書類に視線を戻した。


……正直に話すべきだろうか。



「あの「偵察の意味ってあったの?」

「ないな。俺は国境の巡回を命じられて向かったが、俺が行く必要はそもそもない。俺を殺すために赴かせたとしか考えられん」



言葉を被せてきたルゥをエリーゼが睨めば、それを無視された。余計なことは言わない方がいい、ということだろう。

それに、彼はリリスが犯人だとわかっている。これ以上心を乱すのは得策ではない。


エリーゼはルゥから視線を逸らすと、読んでいるようで読んでいないライナットに目を向けた。

さっきから紙を変えても同じ物を読んでいる。つまり、読んでいないのだ。



「でも変なの。俺たちには殺されても良いわけ?」

「……」



ルゥの一言にライナットはぴたりと動きを止めた。

墓穴掘ったか?とルゥが身構えると、ライナットは何事も無かったかのように作業を再開し、そのまま言い放った。



「気が変わった。俺は殺されたくない」

「なんで?」

「リリスとの決着を付けてからなら死ねる」

「うっそだあ。リオがいるからでしょ?」

「……」



またライナットはぴたりと動きを止めると、ぎろりとルゥを睨み付けた。

ルゥはそれに臆することなく見つめ返した。


しかし、ふいにまた視線を戻すとぴしゃりと撥ね付けた。



「無駄口を叩いている暇があったら仕事しろ」

「だって命令されてないしー。ご命令していただければここから消えますが?」

「……それならセイレーンについて探れ」

「なんで?」

「セイレーンが現れたらしい。そのせいで治安が悪くなりつつある」



セイレーン……と二人同時に呟いた。

セイレーンが現れたら、悪魔が活発になる。それは暗黙のルールであり、国は治安が悪くなる前に先回りして対策を練らなければならない。


しかし、セイレーンとは一体誰なのか。



「セイレーンさんが誰なのかわかってるの?」

「そんなわけあるか」

「それに、なんでそのことを気にしないといけないわけ?関係ないじゃん」

「……リオ、ね」



エリーゼが静かに呟けば、ルゥはハッとしライナットはエリーゼを横目で見上げた。

実は、リオの実母がセイレーンである可能性が高まっている。それは日記にもあった。彼女の周りに不幸が現れた始めたのは、歌のレッスンの後だ。

つまり、セイレーンは歌によって悪魔に影響を与えるため、抵抗するために彼女に色々と仕掛けていたかもしれないのだ。

偶然かもしれないが、もしリオの母親がセイレーンなら、リオもセイレーンである可能性がある。


とすると、セイレーンについて調べておく必要があるのだ。


ライナットは目で二人を部屋から追いやると、はあ……とため息を吐いた。



「俺は死ぬわけにはいかない」



ライナットは一度目を瞑ると、強い光をその瞳にたたえて目を開いた。


ーーーーー
ーーー



「はあ……」



リオはテーブルに頬杖を付いて、余っている毛糸にじゃれついているムギを眺めていた。

そのテーブルの上には淡い紫色のニット帽がきれいに畳まれて置かれている。それの頭のてっぺんには白いボンボンが付いていた。


しばらくぼーっと眺めていたが、ムギは飽きたのかうーんとのびをし、リオは手首が痺れてきたため立ち上がった。

……つまらない。



(もう、会いに行こうかな!待ってらんない!)



一応、ライナットの部屋を訪れる際にはエリーゼに許可を取ってから入るようにしている。しかし、彼が帰ってきたというのにまだ会えていないし、エリーゼもなかなか戻って来ない。

居ても立ってもいられなくなり、リオは部屋から飛び出した。その後ろにはムギがちゃっかりとついている。


廊下を足早に進み、ダースが鼻歌を歌いながら夕食を作っている厨房の前を通り、階段をかけ上がって彼の部屋の前まで来た。

しかし、そのドアノブに手をかけて開けようとしたが、話し声がぼそぼそと聞こえる。どうやらエリーゼとルゥがすでにいるようだ。


先客がいるのか……と思い踵を返した。盗み聞きはしたくないし、絶対に難しい話をしているはずだ。邪魔をしても悪い。

リオはもと来た道を戻り、厨房に立ち寄ることにした。


ひょいっと顔を覗かせれば、先程までいたダースがいなくなっていた。鼻歌も聞こえない。

しかし、よくよく見れば何かを煮詰めているのか、深い鍋はカタカタと蓋を揺らしながら火にかけられていた。

好奇心が勝り、近寄ってその蓋を開ければむあっと視界を覆う白い蒸気。慌てて手でそれを振り払えば、何やら出汁を取っているようだった。鶏ガラが底に沈んでいる。


なんだ、と思いリオは蓋を閉めた。ハッシュドビーフかシチューだったら味見がしたかったのに。

でも火をそのままにするなんて無用心だなあ、とリオは心配になったためダースが帰って来るまで待つことにした。足元にはエサをねだるムギがまとわりついている。


リオは仕方なくエサを探すことにした。鶏ガラがあるということは、煮干しもどこかにあるはず。

片っ端から引き出しや戸棚を開けてみた。スプーンとフォーク、お皿、カップ……と色々とある中で、コンロの下に調味料がある戸棚を発見した。ここになら煮干しがあってもおかしくない。


ガサゴソと漁ると、袋に入った煮干しを見つけた。それを取り出すと、ムギがいきなり飛び掛かって来たためダメだよ、と後ろに下がった。

しかし、そのときに肘が鍋に当たり、コンロからバランスを崩して勢いよく落ちてしまった。その先にはリオの膝があり、熱湯を溢れさせながら落ちた鍋は彼女の膝を強打し、そのままガランガランとやかましい音を立てながら転がった。熱湯が床にぶちまけられる。


リオも……床に膝を抱えながら転がった。



「あっ……つい!!」



ムギは俊敏に水溜まりを避けながらリオに近づき、うろうろと心配そうに歩き回った。

リオはかなり熱くて痛いのか、額に玉のように汗を噴き出させて悶絶している。このままでは水脹れができ、酷い火傷になってしまうだろう。


このまま誰も来ないのか、と思われたそのとき、音を聞き付けて来たのかエリーゼが現れた。



「ちょっとダースうるさいわ……リオ?!」



エリーゼはだるそうな声から一変して、悲鳴に近い声を発した。水溜まりが広がり、その元凶である鍋が転がっているその近くに、リオが倒れているではないか。

ムギはさっとエリーゼが来ると避け、しきりにニャーニャーと鳴いた。それは訴えているように思えてならない。


エリーゼはコンロの火を止めリオを近くの荷台まで乗せると、水道のところまで運び熱湯がかかった膝に冷水をかけ流した。

リオは滲みるのか低い声を漏らしさらに悶絶している。ムギは勢いで飛び散る水を避けながらリオの手を舐めた。まるで、元気付けるように、ひたすら舐め続けた。


エリーゼは焦りと不安に押し潰されそうになっていたが、ここでダースがようやく戻ってきた。その陽気な鼻歌に怒りが頂点に達する。



「ダース!!!!」

「は、う、あ?エリーゼ?なんでいるんだい?」

「なんでじゃないわよ!リオがたいへんなことになってるのよ!なんで火をかけっ放しでいなくなるの!」

「こ、こりゃたいへんだあ!!」



ダースは持っていた食材をテーブルにぶちまけると、冷凍庫から氷を取り出して袋に入れ、リオの膝に当てるとすぐさまその身体を持ち上げた。

汗をかき肢体を投げ出している彼女の様子にぞっとすると、ダースは医務室まで駆け出した。その後ろにはエリーゼとムギが続く。



「ルゥ!いたら返事しなさい!リオが火傷したわ!」

「……なんだって?!」



かなり前方の方から声が聞こえたと思ったら、驚いているルゥが猛ダッシュでこちらに向かっているのが見えた。

しかし、エリーゼはそんな彼に怒鳴り付ける。



「バカ!医務室に行くから先に連絡しないよこのクズ!」

「りょ、りょりょりょ了解しましたあ!」



普段ならバカとか言うな、と口答えをしているルゥでもダースの顔色を見て緊急事態だと察し、脱兎のごとく踵を返して走って行った。

彼はこの中で一番足が速い。彼に先に連絡をいれてもらえれば助かる。



(頑張るのよ)



エリーゼはリオに祈るように、その額の汗を袖で拭ってあげた。




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