*Promise*~約束~【完】
「ハル、リオはどう?」
「……なんとも言えません。膝に痕が残る可能性の方が高いと思いますが、素肌に直接ではなかったので」
医務室に急いで運び医者であるハルに預けて数分後、呼ばれたためリオの様子を見ればいくらか安定したようだった。
エリーゼが心配して聞くも、ハルは首を横に振ることしかできない。しかも熱まで出してしまい、リオはずっと寝たままだ。
負傷した右膝は氷のうが押し当てられ、額にもおしぼりが乗せられている。その様子は気の毒すぎて、ダースはものの数秒で退室してしまった。
ルゥもムギも見守ることしかできない。
エリーゼもベッドで寝ているリオをしばらく見下ろしていたが、着替えを取ってくる、と言い残して出て行ってしまった。
ハルは眼鏡を傾きを直して、白衣を脱いで椅子の背もたれにかけた。
「ハルありがとう。俺たちじゃ何すればいいかわからないから」
「いいよ、それが僕の仕事だし。気に病むことじゃない」
尊敬しているエリーゼがいなくなり砕けた口調になったハルは、引き裂いたリオのズボンの残骸を捨てながら励ますようにルゥに言った。
火傷の傷に衣服は悪く、否応なくハサミで切り裂いて手でビリビリと裂いた。そんなところを他人に見せるわけにもいかず、三人には外に出ていてもらったのだ。
本当は動物はお断りしたいが、リオの大切な猫だと言われハルは難しい顔をしてムギを見る。
当の本人はハルなど眼中にないかのようにベッドの上に座っていた。その瞳は膝に見据えられたまま。
そのムギに触れないように氷のうを取り、水脹れの度合いを見てハルはため息を吐いた。
そのため息は、悪い予感のため息。
「やっぱ、残るよね」
「そうだね……残念だけど」
「ハルはよくやったよ!」
「うん……」
自分よりも落ち込んでいるハルを慰めるルゥ。しかし、ルゥの顔からは血の気が引いていた。それはリオのことだけではない。
(ライナット様になんて言えば……!)
ルゥは、自分の命はもしかしたらもう少しで途絶えてしまうのかも……と身の毛がよだつようだった。
そのうち、エリーゼが帰って来たかと思ったらライナットが眉間にしわを寄せて後ろから現れた。
その出現にルゥとハルは口をぱくぱくとさせる。
「ラ、ライナット様!」
「すみません!僕がもっと迅速に手当てできていれば……」
「……いや」
「あんたたち、出るわよ」
「「はいっ」」
たったの二文字で返したライナットにひやりとしながらも、エリーゼの後ろにおとなしくついて出た。医務室に二人を残してしばらく佇む。
「怒ってない……?」
「……そっとしておいてあげましょう。行くわよ」
いつになく強引なエリーゼにもびくびくと怯えながら、お互い無言で廊下を歩いた。
ーーーーー
ーーー
ー
「……くそっ。何やってんだ俺は」
ライナットは人払いをした後、自分に悪態をついて膝をグーで叩いた。座っている椅子がギシッと悲鳴を上げる。どうやら自分に対して怒っているようだ。
ムギがまだ残っているが、お構い無しにライナットは悶々とリオの顔を見て俯いていた。
(こいつを護ると誓ったのに……すぐに会いに行くべきだった)
とても冷静ではなかった当初、リオに会いに行くよりも先に部下に情報を早く与えようと躍起になっていた。リリスのこともだが、セイレーンのことでも頭が一杯だった。
リオがセイレーンなのではないか。
そんな考えが頭を埋めつくし、当の本人を隠してしまっていた。リオは周りから皆いなくなってしまう、と悲しんでいた。それが実母の日記の"不幸"と重なって思えてならなかった。
だから、リオが自分に会いにうろうろとするのを予想できていなかった。それは、会いたい人になかなか会えないのは心細いだろう。
ライナットはもう一度膝を叩くと、違う方の手でその頬を撫でた。力なく伏せられた睫毛にはわずかに涙の跡が残っている。
それはさっきできたのか、それとも元からなのか。
どちらにせよ、自分のせいには変わりない。
「おまえがいて良かった」
ムギに僅かに頭を下げれば、彼はすぐさまライナットに近づきその脳天をペシリと叩いた。ライナットが頭を上げようとするがグググ……と押さえつけられる。爪を出されては敵わない、とされるがままに頭を下げ続けた。
ようやく機嫌が治ったのか、ムギが離れる気配を感じ頭を上げれば、まだこちらを見ていた。その独特な瞳に見つめられて思わず目を逸らす。すべてを見透かすような金と緑に後ろめたさを感じたのだ。
「あ……う……」
熱に浮かされているのか、リオが僅かに声を漏らした。身じろぎをすればおしぼりがずり落ちる。
ライナットはそれを水に濡らして絞り直してから額に当ててあげれば、リオは顔をしかめた。彼が首を捻れば、また寝言を言う。
「い……やだ……」
悪い夢でも見ているのか、呼吸を乱して首を大きく振る。そのせいでまたおしぼりがずり落ち、ライナットはだんだんと心配になった。
もしかしたら、悪魔に悪夢を見せられているのではないかと。弱っている今こそ、セイレーンを潰す好機になってしまう。
ライナットは護るように、その手を握った。冬だというのに汗ばんでいる熱い手をぎゅっと閉じ込めれば、リオの動きが止まった。
すると、彼女の瞳からは雫石が流れ落ちてきた。
「行、か……ない、で……」
そうか、とライナットは思い当たった。リオにとっての悪夢は、皆が周りからいなくなること。それを夢の中でだが体験していて、抵抗するべく想いが身体の動作に現れていたのだ。あんなに動くほど、リオにとって孤独は悲しいことなのだ。
それにライナットまでもが辛くなり、目を僅かに伏せた。リオも本当はたくさんのことに悩まされているのだ。その支えに自分はなれているのか、それともその悩みに自分が入ってしまっているのか、彼は見えない答えを繰り返した。
しばらくして、リオの呼吸が安定してきた。どうやら悪夢は一応終わったらしい。
そろそろ自室に残してきた続きをやらなければ、と後ろ髪を引かれる思いで手を離そうとしたが、リオの手に力がこもり手を引っこ抜けなかった。
参ったな、とライナットが頭を掻くと、ドアがノックされて開かれた。そこにはやっぱり、と顔に書いたエリーゼがタイミングよく書類を持って現れた。
ツカツカと歩み寄ってライナットにそれらを手渡すと、エリーゼは遠慮がちに口を開いた。
「廊下に必ず一人は駐在させているので、ご用があれば声をかけてください」
「ああ、助かる」
「では」
エリーゼは早々と部屋から出て行き、また静けさが戻った。廊下に今いるのはエリーゼだろうが、ルゥもいるらしい。ライナットの様子はどうだったか、とでも聞いているのだろう。
ライナットがリオの頭を撫でながら手を抜くことを試みれば、あっさりと抜けてしまった。なんだ、と肩透かしを食らったがこれで仕事ができる。
ライナットが国内の状況報告の資料に目をうつして遅れを取り戻そうとしていると、パサリと白い封筒が落ちた。
それを拾い上げるが、宛名も何も書かれていない。バドランの印のシールを剥がし、中から紙を一枚取り出せばそこには拙い字でこう書かれていた。
"邪魔するな"
その真意を計ろうとしたが、たちまちその紙と封筒に火が灯り、すぐに消えてなくなってしまった。
なんなんだ、とライナットは思わず立ち上がるが、落ち着こうとまた腰を下ろす。誰がこんなことを……
しかし、答えはすでに出ていた。
「リリスのやつか……」
こんな魔術のようなことは、バラモンにしかできない。誰かに頼んでやってもらったのか、もしくはバラモンの誰かがライナットに対して恨みがあるのか。
(しかし、"邪魔"とは何だ?向こうの方が邪魔をしているのに)
リリスだとしたら、もっと重い言葉……"死ね"だとか、"殺してやる"だとか、こんな回りくどい言葉にはしないはず。だが、いつあの手紙が混じったのかは不明だ。
"邪魔"……それとリオに関係はあるのか。バラモンにとって、セイレーンは味方なのだろうか。それとも、それこそ邪魔な存在なのだろうか。
そもそも、セイレーンの存在意義はなんだ?バラモンに悪魔を押さえる力があるのだから、セイレーンはいらないはず。
不可解な点が多すぎる。
「とにかく、リオを護らなければ……」
ライナットはそれを念頭にしながらも、仕事を再開した。
その様子を、ムギがじっと瞬きもせずに見ていたのを知らずに……