*Promise*~約束~【完】
動き
「……っ」
ライナットが目を覚ましたのは、夜中だった。リオの手を握ってからいつの間にか眠っていたらしい。誰も起こしに来ないとは、よほど彼の機嫌を心配しているのだろう。
しかし、ライナットは何かの気配に気がついて起きたのだ。開けてもいない窓からは冷気が流れこみ、それに合わせてカーテンが揺れていた。
そして、その前には男が立っている。
「おまえ……!」
「……」
ライナットは目を丸くさせた。その男は、紛れもなくディンだった。民宿にいるはずの彼が、どうしてここに。
それに、その顔は月明かりの影に隠れていたが、辛そうな顔だというのはわかった。
ライナットはどうやってここに来たのか、と問いかけようとしたが、その前にディンが言葉を発した。
「歌……」
「歌?」
ディンがそう言って指差したのはリオ。その口元に耳を近づければ僅かに声が聞こえるが、掠れたり途切れたりしていてよくわからない。
ライナットがディンを睨み付けるようにして見ると、ディンがこちらを見た。その目は、悲痛で歪んでいた。
「思い出したんだ……」
「は?」
「俺の本当の正体」
そう言うと、リオを見下ろしながら衝撃的な告白をした。以前とは違い、とても端的な言葉遣いだった。
「俺、悪魔なんだ」
「悪魔だと?何を言っている」
「俺は、セイレーンを殺すために派遣された悪魔なんだ。けど、今まで忘れてた。でも、こいつの歌で思い出した……思い出したくなかったのに」
ディンはリオの頭に手を伸ばすと、優しく撫で始めた。髪を指で掬ってはパラパラと落とす。
触るな、とライナットが反射的にその手を払えば、ディンはさらに辛そうな顔になった。
「そうだよな……俺にこいつを触る権利なんてない。けど、けどな。俺はこいつを殺せない、殺せないんだ。思い出が、キラキラしすぎてて……でも、目を逸らせなくて」
「だが、命令に背けばおまえはどうなる?」
「殺されるんじゃないかな。それか、過労死とかかもしれない」
「おまえは……こいつを殺すのか?」
ディンは答えを言おうと口元を動かしたが、さっと顔色を変えるといきなり窓から飛び降りてしまった。
慌てたライナットが驚いて窓の下を見下ろしたが、どこにもディンの姿は見当たらなかった。
さっきまでの会話が現実に感じられないまま力なく窓を閉めると、ノックも無しにエリーゼが血相を変えて飛び込んで来た。
「ライナット様!不穏な気配を感じたのですが……」
「いや、なんでもない」
「そうですか……?うるさくして申し訳ありませんでした。ルゥのやつそこで寝こけているので叩き起こして来ます」
「好きに寝かせてやれ。エリーゼも心配かけたな」
「いえ。では失礼いたします」
エリーゼは首を捻りながら静かに部屋から出て行った。
ライナットは彼女を見送ってから、今一度リオの口元に耳を近づけるも、声はもう途絶えてしまっていた。
リオは悪夢にうなされるわけでもなく、寝返りをうつわけでもなく、ただそこに眠っているだけだった。今度はライナットが首を捻った。
「やはり、リオがセイレーンか……」
悪魔は人間に化けられるのだと初めて知った彼は、今後は護衛無しではリオを出歩かせられないな、と頭が痛くなった。
恐らく、今後は悪魔の悪影響が活発化するだろうし、もしかしたらリリスが感化されて行動に出るかもしれない。
それならそれで手っ取り早いが、とてもそれを冗談では言えなかった。リオの火傷の経緯がわからないとはいえ、こんな危険な目に合わないといけなくなると思うと胸が軋むようだった。
それに、まだまだこの国に起こっている異変を解明できていない。しかし、明日は兄弟の集会がある。
以前の集会からもう一ヶ月が経ってしまったのに、何も有力な情報が手に入っていない自分に嫌気がさした。
俺は、一体何をやっているんだ、何もできていないじゃないか、とライナットは自分を責める。
しかし、部下たちに一つ言うことができた。
それは、自分に似た男を見つけたら用心すること。酷似しているのが仇となってしまった。
ディンは最後の質問に答えてくれなかったが、殺しに来ないとは限らない。自分に成り済まして好き勝手やる可能性だってある。
「悪魔とかセイレーンとかどうでもいい」
なんでこんなことになってしまったのか。
ライナットはリオの寝顔にキスを落としてから、静かに目を閉じた。
ーーーーー
ーーー
ー
「来たかライナット」
「どうかしましたか?」
兄弟が待つ部屋に足取りを重くさせながら入れば、待ちわびたかのようにアレックスが声を上げた。
ライアンも心なしかおちゃらけた雰囲気とは一変して、真剣な表情をしている。
「バラモンだ」
「バラモン、ですか?」
「ああ。母上の部屋をバラモンが足を運んでいることを突き止めた」
「それが……?」
いきなりバラモンからリリスの話に変わって内容が掴めずにいると、落ち着かないアレックスに代わってライアンが説明した。
「リリスのところに女のバラモンが通ってるんだってさ。しかも、夜遅くにね。何をしているのか心配で、アレックスはこんな状態なんだ」
「母上は何かされているのではないか?」
「夜……」
夜、ということは秘密にしておきたいということだろう。それをたまたま見られてしまうとは、そのバラモンは油断していたようだ。
しかし、その目的がわからなければ意味がない。ただの星占いであれば、夜という時間帯は合点がいくが、バラモンとリリスとは、実に不思議な組み合わせだ。
ライナットが黙っていると、アレックスはさらに身を乗り出した。
「母上に聞いても何も答えてくれぬのだ。ついでに陛下のことを聞けば、機嫌を損ねてしまわれたのか話を逸らされてしまった」
「誰にでも秘密はあるでしょうよ」
「それはそうだが、隠す必要があるのだろうか」
十分に隠しているが、とライナットは内心憐れに思った。母親が他の女と男を巡ってドロドロな展開を作っているのを知らないとは、なんとも気の毒だ。
興奮ぎみのアレックスを無視しながら、ライナットはいろいろと模索する。
バラモンが何かしらの形で動き出した。悪魔もこれから活発になる。さらにガナラとも争わなければならない。
この国は、大丈夫なのか?
「それで、ガナラについてはどうですか?俺はガナラとバドランが小さな戦争を起こしたと聞きましたが」
ライナットが全くリリスとは無関係な質問をすれば、アレックスは少しむっとした。しかし、これ以上彼の愚痴を聞いていては時間が勿体ない。
意外にも、ガナラの話にはライアンが食いついてきた。
「ちょっと調べてみたんだけどさ、ライナットが言ってた噂のやつ、あれ当たってるかも」
「なぜです?」
「風の噂なんだけど、どうやらバラモンがその噂を流した可能性が高いんだ」
「バラモン!やはり怪しいではないか」
鼻息を荒くさせるアレックスの存在を完全に無視して、ライナットはその続きを促した。
第一王子であろう男のこの乱れようは恥ずかしいほど目障りで、それはライアンも同じようだった。彼もアレックスを無視している。
「バラモンに国境って関係ないらしいんだ。だから、バラモンは自由にデマを流すツテがある。それがたぶん、噂の出所かもしれない」
「バラモンと噂の関係は?」
「僕も考えてみたんだけど……噂が流れて争いが絶えなくなる、そうなると王家は国民の怒りは悪魔のせいだと勝手に思い込む、となるとバラモンに頼る、でもバラモンに国境はないから実質バラモンが国を言いくるめて、バラモンが支配する」
「つまり、裏でバラモンが操っている、と」
「そう。バラモンって権力あるくせに影薄いじゃん?だからそこから反乱が起きてもおかしくないと思ってさ。誰だってないがしろにされたら面白くないよね」
異質な空気を身に纏っているバラモン。そのはらわたが見えないから遠巻きにしてしまう。
それにバラモンが嫌気がさして、そろそろ、自分たちが頂点に君臨する世の中を作ろうと策略を練っているのだろうか。
「すぐにでもバラモンを暴かねばならぬ!」
「仮説だからあんまりデカイことはしないでよね」
「心配ご無用。隠密に探るのだ」
なんだか立場が逆になったな、とライナットは呆れながら分析した。冷静なライアンにいつ突っ走るかわからないアレックス。
本当に、目立つことはしないでほしい。邪魔されては堪ったものではない。
そこで会議はお開きとなり、ライナットは北の塔に戻った。
「バラモン、か……」
バラモンが動き出している、と言われてもピンと来ない。正直バラモンについては何も探りを入れてなかったからだ。
もしかしたら、盲点があるのかもしれない。
「いよいよ、本腰をあげるか……」
ガイルの他にも情報員を動かなさなければならないようだ。ここまでゴタゴタが交錯しているとは思ってもみなかった。リオの護衛をルゥとエリーゼに頼んだらもっと人員不足になるだろうし。
やることが、多すぎる。
「ライナット様ー!リオが起きたよ」
目の前から走り寄って来るルゥが見えた。その顔は笑顔で晴れ渡っていた。
ライナットの前で立ち止まると、彼女の状況を教えた。
「熱もだいぶ下がったし、食欲もあるからもう大丈夫だろうってさ。火傷は湿布貼ってればそのうち治まるだろうって」
「そうか……ルゥ、セイレーンではなくバラモンを探れ」
「なんで?」
エリーゼが以前見たバラモン。それを持ち出されてルゥは内心ぎくりとしたが、どうやら関係ないとわかるとほっと胸を撫で下ろす。
「リリスのところにバラモンが通っているらしい。何をしているのか気になる」
ルゥは嘘でしょ?と顔を強ばらせた。エリーゼは話してないはずなのに。
さすがライナット様だ、とルゥはただただ感心するしかなかった。