*Promise*~約束~【完】


「ふう……」



ルゥは今、北の塔の屋根の上にいた。それは屋根の先にできたツララを金づちで叩いて地面に落とすという作業。

ツララは成長すると、窓を割ってしまう危険性がある。それに下にいる人に落ちることもあるから、そんなビクビクとしながら歩きたくない。


ルゥがツララを大方片付けた頃、眼下からエリーゼが大声で言ってきた。



「もういいわよー!」

「わかったー!」



それに大声で返せば、ひらりと身を翻して軽快に梯子を降りる。ストンと着地すればエリーゼがタオルを手渡してくれた。

額の汗をタオルで拭って首にかけ、軍手を外してポケットに突っ込んだ。



「お疲れ様。やっぱりさすがね」

「そう?エリーゼだってできるでしょこんなの」

「私を買い被りすぎよ。あそこまで機敏に動けなし、バランス感覚もないわ」



建物の中に入りながらお喋りをする。

今がチャンスだ、とルゥは思い出してライナットとの会話について話した。



「あのさ、ライナット様はリリスのところにバラモンが通ってるの知ってたよ」

「……隠す必要なかったわね。どこ情報?」

「さあ。そこまでは聞いてないけど、兄弟会議の後だからそのときじゃないかな」

「侮れないわね、あの兄弟も」



エリーゼが眉をひそめれば、ルゥはそれに頷いた。何も知らない世間知らずのやつらだと思っていたが、想像よりもやるときはやれるらしい。


しばらく二人で歩いていたが、いきなりルゥが声を上げた。



「あ!忘れてた」

「何よいきなり」

「ツララ落とし、やり残してるところがあるかもしれない」

「そうなの?気をつけてね」

「わかった!じゃー、またね」



ルゥはエリーゼに手を振ってから別れた。それから、また寒い外に出て梯子を昇る。

器用に屋根を歩いて覗き込めば、小さな屋根をちょうど見つけた。案の定そこには僅かにツララが残っている。しかも影になる時間帯が長いのか、それ自体も長く成長していた。

軍手をはめ直した腕を伸ばしてガツンと金づちで叩けば、バリンと割れて落ちていく。そして、地面に到達すれば粉々に砕けた。



「この落ちてるとこ見るの好きなんだよねー」



まるでスローモーションのように落ちていくツララ。それがいつの間にか地面に当たって粉砕される。

バラバラになった輝く破片を見下ろしながら、次々とツララを落としていった。


しかし、終わったときに背後に誰かの気配を感じた。

エリーゼもなんだかんだ言ってたけど来たのかな?と思い振り向こうとすれば、背中を手でトンと押される感覚。


次には、足の下には何もなかった。そのまま身体は重力に従って真っ逆さまに落ちていく。

僅かに上を目を向ければ、無表情のあいつがいた。



(なんで……)



ルゥはそのまま落ちていき受け身を取ったが衝撃に堪えられず、うっと声を漏らしてどさっと地面に横たわった。

頭を庇ったが脳が揺さぶられるような強い衝撃。ルゥは身体を投げ出してそのまま気を失ってしまった。


頭上では、落とした本人がそれを見下ろす。



「ごめん……でも、バラモンについて探らせないよ」



謝罪にしては、低い声色。しかし、その眼差しは罪悪感でいっぱいだった。


ーーーーー
ーーー



「ルゥ!ルゥ起きて!目を開けて!」



医務室に運び出されたのは、だらりとしているルゥだった。リオはそれを一目見ればたちまち顔を青くさせる。しかし、近づいたリオをハルは離れさせた。


ルゥが倒れているのを見つけたのはダースだった。釜戸に使う薪を取りに行ったときに、人が倒れていると思ったらそれはルゥだった。

呼吸は浅く、声をかけてもびくともしない。

ダースは慌てて医務室へと向かい、そこのベッドに横たえさせた。



「先生、ルゥのやつは助かるかい?」

「わかりません……何があったかわかりますか?」

「いや……だが、格好と金づちからしてツララ落としをしていたのは間違いない」



それに思いっきり眉間にしわを寄せるハル。

そうしたら、恐らく……



「あの高さから落ちたのか?!」

「ルゥのやつに限って、そんなのは……」

「とにかく、骨が折れている箇所がないか確認しましょう」



ハルは動揺を隠せないまま慎重にルゥの身体に手を滑らせた。その作業を黙って手伝うダース。

そんな様子を、リオはムギを抱えながら見守った。


ハルは順々に確認した後、ふうと息を吐いた。



「右腕が折れてるな……とっさに身体を庇ったのかもしれない。これからどんどん腫れてくるね。でもこれぐらいで済んで良かった。奇跡に近いよ」

「先生、何か手伝うことは他にあるかい?」

「じゃあ、腕を吊るすやつを作るから手伝ってください」

「ほいきた」



ダースは大きく頷くとハルの後ろについて奥に行ってしまった。

リオは恐る恐るルゥを見下ろす。その顔色はとても薄く、意識を失っているのか表情も変わらなかった。

手を握ってみても、握り返してくることはない。



「どうして……」



こんなことになったのか。


呆然としているリオがハッと意識を戻したのは、エリーゼがバンと勢いよくドアを開けてツカツカと医務室に入って来たときだった。

ちょうど戻ったハルがここではお静かに、とたしなめるとエリーゼはバツの悪そうな顔になる。



「ごめん、ルゥが運ばれたって聞いて……」

「幸い、右腕を負傷しましたが命には別状ありません。よほど運が良いんでしょう。ですが、意識が戻らないんです。もしかしたら頭を強く打ったのかも」

「腕……骨折したのね」

「治るまで相当の時間がかかると思います」



器具を腕に装着させる。ダースは飯の準備があるから、とさっき出て行ってしまったらしい。

それに気づかないほど、リオはぼーっとしていたのだ。


ハルはずれた眼鏡を押し上げると、エリーゼを見た。



「ルゥに何が起こったのかわかりますか?」

「いいえ……ツララが残ってるかもって一人で行ってしまったわ。その後にこんな風になっちゃって」

「そうですか……」



原因がわからない今、ルゥの意識が戻るのを待つしかない。彼しか事情がわからないからで、恐らく目撃者もいない。

とりあえず、このまま寝かせておくしかないのだ。


リオは動かないルゥを見下ろしながら、誰にも聞こえないぐらいの小さな声で呟いた。



「私の、せいだ……」


ーーーーー
ーーー



「嘘だろ……」

「いいえ、間違いありません。どこを探してもいないんです」



エリーゼがノックもなしに入って来たと思ったら、主に向かって焦ったように報告した。


ルゥが医務室に運び出されてから二日後、忽然とリオは姿を消した。

未だに目を覚まさないルゥ。このままでは命が危ぶまれていて、ライナットもお見舞いに行ったが反応はなかった。そのときは、リオはちゃんといた。声をかければきちんと返していた。

しかし、そんな彼女が行方知れずとなってしまったのだ。

ライナットは呆然と、目の前のエリーゼを見る。



「心当たりはありませんか?」

「いや……だが、やけに思い詰めているような感じはした」

「いつからですか?」

「火傷をした後から、か?」

「となると……ライナット様、良くないことが起こっているのかもしれません」



エリーゼはすぐにピンときた。


彼女は、自分の正体に気づいている。



「リオは自分がセイレーンだと何かをきっかけに知ったのかもしれません」

「……あり得ない。誰も言っていないんだぞ?」

「ですが、妙に周りの良くないことに敏感に反応していたのでしょう?」

「それは……」

「それに、私は以前セイレーンの本を貸しました。ライナット様、本当に心当たりがないのですか?」

「……よく、聞けよ」



ライナットはエリーゼにディンが現れた夜のことを話した。


セイレーンは不幸を呼び寄せる。

悪魔を引き連れて……



「グズグズしていられない。探しに行くぞ」

「無理です!お止めください」

「なぜだ!」

「ちょうどサーカスが来ていて、街は人で埋め尽くされています。しかも初日なのでパレードをしているんです。リオだけを探し出すのは無謀すぎます」

「……くそっ!」



確かに今日はサーカスの一座が来ている。先ほどから賑やかな人々の声が窓を閉めていても聞こえていて、その人の多さは予想できた。

しかし、ただじっとしていられないんだ。



「探しに行かせろ!」

「無茶です!お止めください!」

「主の言うことを聞けないのか!」

「聞けません!司令塔が冷静さを欠けてどうします?ライナット様、私たち部下を何だとお思いですか!」

「……くっ。エリーゼ、命令だ」

「はい」

「リオを必ず連れて帰れ」

「承知いたしました。この命に代えてもリオを連れ戻して参ります」



エリーゼは丁寧にお辞儀をすると、部屋から退室した。強ばった身体をいったん椅子に沈めてから、天井を仰いではあ、とため息を吐く。



「サーカス……」



よりにもよって、なぜ今なのだ。



「俺のせい、でもあるよな」



あのとき、リオのお見舞いに行ったときの空元気……

あれは、こうなることのサインだったのだ。そのときから気づいていれば……


ライナットは拳をテーブルに強く打ち付けた。



「リオ、無事だよな……?」



ちらつくのは、酷似した悪魔の顔。

狙われていたら、手遅れになってしまう。


彼は焦る気持ちを押さえるように、拳を額に当てて心を落ち着かせた。


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