*Promise*~約束~【完】
サーカス
「リオちゃーん!こっち手伝ってよ」
「はーい」
リオは今、オーダーを取って厨房に戻った。そのとき、先輩の男性に料理を運ぶように呼ばれた。
ここは、以前ライナットが常連だった、と話していたお食事処だ。
リオは城を飛び出したものの、行く宛がなくさ迷っていたが、サーカス団の人だかりで阻まれ隠れるように狭い路地へと立ち入った。
そのとき、ふとこの店を思い出して一か八か寄ってみたのだ。
男性にいらっしゃい、と笑顔で言われたものの、しどろもどろになってしまったが、どうした?と言われ事情を話した。
事情と言っても、喧嘩をして飛び出して来た、と嘘をついてしまった。罪悪感があるものの、真実を言ってもどうしようもない。
あいつと喧嘩?と男性は訝しげにしていたが、ふっと僅かに微笑んでリオに言った。
「喧嘩をできるやつがいるなんて、恵まれてんな。良いよ、気がすむまでここにいな、親父たちには俺から言っとくからさ。部屋はたくさん余ってるし。まあ、早い内に戻ることをオススメするよ」
『恵まれている』。
そんな風には一度も思ったことがなかったリオにとって、その言葉は胸にズンと重みを与えた。
北の塔での日々。それはとても温かかった。いざそこから脱け出してみれば、恋しいとさえ思う。
しかし、だからこそ離れなければならない。その温かみを奪ってはならない。
リオは、来るべき不幸を心から恐れていた。
「ところで、あの猫なんだ?おまえのか?」
「まあ、そんなところです」
「店に入って来られちゃ困るが、ああやって看板猫になってくれるならありがてぇや」
ふと店の外を見てみれば、入り口付近にムギが陣取っていた。ムギを見つけた通行人が次々に声をかけては手を振っている。
本人は知らん顔で顔を洗っているが、ある女の子たちはツンデレー!と笑っていた。
……ツンデレ、ね。
その言葉に、あの人が思い浮かぶ。
「ところで、サーカスはどんなのなんだろうな。その話で持ちきりっぽいし」
人が減って一休みしているときに、男性が話しかけてきた。
ちなみに、男性の名前はレオナルドだった。周りの人は皆レオ、と呼んでいる。
ライナットは知らないんだよな、となんだか悪いことをしているみたいに思えてきた。こうやって、彼が知っているようで知らない男の人と一緒にいてどう思われるだろうか、と。
右手の指輪が、妙に冷たい。
「サーカス、見たことないんです」
「俺も。サーカスなんて滅多に来ないぜ?行ってみたいけど、店番があるからさー……あ、いらっしゃいませー」
レオは営業スマイルでお客様を出迎えた。三人の女性と、一人の男性が話ながら椅子に座る。
「困るって。着いた途端にもうさよなら?君たちはスターなんだよ?」
「と、言われましてもー、あたしたちもやることがあるんですよ~」
「そうなんです~。団長さんには感謝してますよぉ」
「あたしたちは部下であって、上司には逆らえないんです。しかもイケメンだから尚更」
ねー、と三人合わせて同意する。そんな彼女たちに男性はそこをなんとか、とへり下っている。
しかし、一向に彼女たちは首を縦に振らない。
「はい、お待ちどおさん」
「お兄さんありがとー、ねえねえ、年いくつ?名前は?」
「ちょっとツェル、邪魔しちゃ悪いでしょ?」
「そうよそうよ、そういうのは食事が終わってからにするものよ」
注意する主旨が違うような気がするが、黙ってそちらを見る。すると、最後に注意した女性がこちらを見た。
すると、にこーっと笑いかけてきた。リオは若干苦笑い気味で返す。しかし、向こうは視線を逸らしてしまった。
……なんだったんだ。
「綱渡りだって空中ブランコだって、今や君たちがメインなんだよ?パレードでもそれを大々的に宣伝したし、いきなりいなくなるなんてこっちが成り立たなくなるよ」
「でもでもー、メインとは言いますがあたしたちまだ一回しか本番出てませんよ?それに、そういうお約束でした。それを不都合だからって破ってもらっちゃあたしたちだって迷惑なんですけど」
「そうですよ。あたしたちにも都合ってものがあるんですー」
「団長さんがここで諦めてくれれば、すべて解決するんですよ?」
「そうだが……」
男性は言い淀むと、最後には折れて三人を解放した。食べ終えてお礼を言ってから三人は立ち上がり、リオと会話に耳を傾けていたレオナルドのところにやってくる。
「で、お兄さん今暇?一緒に遊ばない?」
「生憎、こいつとお話中さ。ところで、あんたらはサーカスの関係者なんだな」
「関係者だった、のよ」
テーブルに項垂れている団長と呼ばれていた男性は、魂が抜けたかのように呆然としている。
その人に目線を送れば、訂正した女性はうんざりしたように答えた。
「あたしたちは、セナ、ツェル、グロースって言うの。お兄さんは?」
「レオナルド。長いからレオって呼ばれてる」
「年は?」
「おまえらから言えよ。そうすりゃ教えてやる」
「ええ!お兄さんの意地悪~」
満更でもなさそうにレオナルドが会話しているから、だんだんとリオは除け者になっていた。
なんだか居心地が悪くなって、団長にそろりそろりと近づく。
そして、その肩にぽんと手を置けばびくっと驚かれてしまった。
「ひえっ!」
「あ、すみません……お会計をお願いします」
「す、すみません!払います!」
団長は慌ててポケットをまさぐり、財布からお金を取り出して支払いをした。
団長は疲れたような笑みをリオに向けてから会釈すると、幽霊のように音もなく立ち上がる。
そして、店から出ようとしたときに、いつの間にいたのかレオナルドがその腕を掴んで振り向かせた。
「人手が足りないんだって?」
「え?あ、はい……ショーに出るような人が欲しいんですが、だんだん人が増えてきて食事を作る人とかが足りなくなってはきていますが……」
団長はもう完全に脱力しているのか、ペラペラといらないところまで話した。
しかし、レオナルドはそれに笑顔で提案する。
「実はここにいる彼女、彼氏と喧嘩して家出してるんだ。あんたが良いってんなら、ここにいる間は貸してもいいぜ」
「ほ、本当ですか!」
「え、ちょ、勝手に言わないでくださいよ」
「いやー、料理ができる人が少なくて正直参っていたんです。いやはや、助かりました。では早速ですが行きましょう」
「はい、荷物。あたしたちの代わりに頑張ってねー」
「え?え?え?」
持ってきた荷物をいつの間にか渡されて、ぐいぐいと腕を引っ張られて、振り返っても皆にこにこ、目の前を見てもにこにこ……
(嘘でしょ?!)
今日から勝手に、サーカスの一員になってしまったリオ。しかもお食事処で働いているからという先入観で、料理ができることにされてしまった。
実際料理はできるが、大人数分は作ったことがない。それに、最近はお菓子ばかり作っていた。
先が思いやられる、とため息を漏らすも、ふと考えるのは彼のことばかり。
(きっと、心配かけてるよね)
だが、灯台もと暗し。近くにいるんだから悪くないよね?と無理やり自分を納得させて、団長に引っ張られるがままについて行った。