*Promise*~約束~【完】

魔の手、光の手




「ディン、おまえ何見てんだ?」

「いや、別に……」



バドランの首都から少し離れた森で、ディンは風に吹かれながらある方向を見ていた。

その方向には、リオがいる。

しかし、あそこには天使がたくさん集まってきており、避難するように仲間を引き連れてここまでやってきた。


それぞれの使い魔に指示を出しては向かわせているが、ディンには使い魔はいない。

契約をしていないため、一人ぽつんと座っている。



「それにしても、おまえ覚醒してなかったとはな」

「ナツはいつだった?」

「俺?俺は産まれたときからさ」



ナツ、と呼ばれた男は威張るように言った。ディンはそれを見てため息を吐く。

ここにいる仲間は皆、悪魔と人間のハーフだ。セイレーン討伐部隊は皆、一様にハーフだと決まっている。

純血の悪魔では天使に気づかれやすく、人間界にいるには過ごしにくい。かと言って、全く気づかれないというわけではない。

だから、こうやって隠れているのだ。



「セイレーンってさ、おまえの幼馴染ってやつなんだってな。おまえ、しくじったらどうなるかわかってる?」

「……そのつもり」



なんだけどね、と心の中で付け足す。

ナツは鋭い光を宿しながらディンを見た。彼の本意を知りながらも、あえてそう言うことを言うのは悪魔の性質か。

それとも、しくじれば皆殺させるからそう言ってしまったのか。


ディンは力ない笑みを浮かべながら、また同じ方向を向いた。

その顔からは、彼の想いは感じられなかった。


ーーーーー
ーーー



「おっはよーございまーっす、イッテ!」

「何がおはようよ!周りがどれだけ心配してたかわかってんの?」

「あー痛いなー、頭痛いなー、エリーゼのせいでまた脳震盪起こしちゃうかもー」

「ホント、あんたバカよね」



従者が使う食堂に突如現れたその男に、エリーゼは間髪入れずに頭をひっぱたいた。

男はわざとらしく声を上げながら頭を抱えて食堂を練り歩く。

そんな歩き回る彼に、皆は声をかけた。



「おかえりルゥ、久々の休暇はどうだった?」

「頭ん中お花畑だったよ。しかも目の前に川があってさ、向こう岸に綺麗なお姉さんが手招きしてるわけ。船まであって、それ漕いで行こうとしたらいきなり沈んで溺れて目が覚めた」

「なんで沈んだんだ?」



冗談めかしてルゥが語り始めると、別の人が質問した。

ルゥはそれに不敵な笑みを向けながら答える。



「聞いてよー、いきなり船を銃で撃たれてそこから水がボコボコと……」

「それってエリーゼじゃないか?」

「かもね」

「私は休暇もらってないし骨折もしてないわよ。それにあんたなんていつも頭の中がお花畑じゃないの」

「ひっど!いつもじゃないし!」

「突っ込むとこそこかよ!」



わはは、と食堂が笑いに包まれる。ルゥも腹を抱えて笑っていた。

エリーゼもつられて笑っていたが、ふとルゥの頭にぐるぐる巻きにされている白い包帯で口元を戻した。


ルゥが眠っていた数日間、エリーゼはルゥの穴を埋めるべくせっせとひたむきに働いていた。

バラモンのことや、悪魔のこと。そして、天使の動向。

エリーゼは正直、自分が何者なのかわからない。天使なのはわかっている。しかしそこまで完璧な存在ではない。


だから今まで、独自で情報収集にしていた。悪魔と天使の因果、セイレーンやバラモンの性質。

その過程で、天使にとって悪魔は敵だと知り、悪事を働いている悪魔を殺してきた。

人間の皮を纏った悪魔。だが、エリーゼは相手が悪魔かどうかを敏感に察知できた。

実際は皮を纏っているわけではなく、容姿が変わっているだけ。魔界から人間界に行けば、その容姿は勝手に変わる。

悪魔は一様に、黒髪で紅眼で翼は闇の色。天使とは真逆の色合いで、耳の先だけではなく牙も尖っている。


エリーゼは自分が天使と人間のハーフだとは気づいていないが、自分の使命は心得ているつもりだ。

悪魔は、敵。

ただ、それだけは知っていた。



「ライナット様には顔見せたの?」

「まだ」

「ホントあんたバカ!ほら、さっさと行くわよ」

「まだ朝ごはん食べてないから!」

「朝ごはんとライナット様、どっちが大事なのよ?」

「……ライナット様」



その間は何!とエリーゼが怒鳴り付ければ、ルゥは茶目っ気たっぷりに笑ってから皆に手を振って食堂を出た。

食堂の扉の隙間からまだ笑い声が聞こえる。



「あんた、わざとでしょ」

「何が?」

「場を和ませようと、あんなことして……」

「別にー?」



ルゥは屈託のない笑みをエリーゼに見せて、なんでもないように前を向いた。

右腕は、未だに吊るされたまま。首に巻かれた布に力なく垂れている。

それがなんだか今の近況と重なって目を逸らした。


本当は、皆あんなに笑う余裕なんてない。



「ライナット様どんな感じ?リオに相変わらずゾッコン?」

「それがねえ……」



リオが失踪した、とエリーゼが説明すれば、ルゥは目を伏せてそっか、と呟いた。

未だに、リオは城に戻って来ていない。



「場所もわからないの?」

「まあね……」



エリーゼは小さく返事をし、口をつぐんだ。

そろそろ、ライナットの部屋に着く。


ドアの前まで来ると、同時に二人で息を吐いてからエリーゼがノックをした。



「入れ」



ルゥは少し緊張しながら足を踏み入れた。

そこには、いつもと変わらない主の姿があってほっとする。

リオがいないから取り乱していないか心配だったのだ。



「ルゥが復活したので連れて来ました」

「ああ、ルゥか」

「リオいなくなっちゃったんだって?俺、探してくるよ」



ルゥが意気込んで身を乗り出すと、ライナットは一瞬ぴくりと固まってからなんてことないように話す。



「申し出はありがたいが、その腕でどうするつもりだ?」

「そのうち治るって!……それで、話変わるけどさ」



ルゥはいきなり声色を低くさせて本題に入った。

それは、どうして事故ってしまったのかの原因。



「あいつに突き落とされた」

「あいつ……?」



エリーゼがわからずに聞くが、ライナットは無言で手作業をやめる。

バサッと紙が乾いた音を立てて机に下ろされた。



「俺の偽者か?」

「そう。あいつが俺の背中を押したんだ。表情までは逆光で見えなかったけど」

「あいつか……やはりな」



ライナットは白い顔に影を差しながら頷いた。

エリーゼは最初驚いたような顔で二人を交互に見ていたが、内容を把握したのか真面目な顔で話の雲行きを見守った。



「あいつは今、恐らくこの街にはいない。目撃情報はまだないしな」

「よかった……誰も被害に会ってないんだ」

「何がよかった、だ。犠牲者は出ているんだぞ。下手すれば死んでいたかもしれないんだ」

「そんなにいきり立たなくても……」



ライナットは拳を握りしめていきなり卓上を片手で叩いた。

その手をもう一方の手のひらで包んで二人から見えないところに隠す。



「悪い……興奮しすぎた」

「お茶をお持ちいたします。ルゥ、出るわよ」

「え、もう?」

「失礼いたしました」

「……ああ」



ルゥが訝しげにエリーゼを見たが、彼女はその視線を無視して部屋から引っ張り出す。

半ば強引にルゥを連れて廊下を歩く。



「ちょっとちょっとちょっと!どうなってんの?」

「わからない?」

「え?」



強い声でエリーゼはルゥを振り返った。その悲しそうな、悔しそうな目に押し黙る。

彼女は掴んでいた腕を解放してあげてから、静かに口火を切った。



「ライナット様は……戦ってるの」

「誰と?」

「……なら良いわ。今の忘れて」

「エリーゼ?」



困り顔の彼を置いてお茶を取りに行くエリーゼ。

その足取りはどこかイライラとしているようだった。



(怒らせたかな……?)



ルゥはしょんぼりと項垂れながら医務室へと向かった。

なんだか、頭が痛かった。



(ルゥは、関係ない)



エリーゼはそう自分に言い聞かせながら紅茶の準備をしていた。



(ただの、人間なんだから)



先ほどの主の様子を思い出したら、手元が狂ったのかティーカップを落としてしまった。

ガチャン、と割れた破片をため息を吐きながら拾うと、破片で指先を切ってしまった。

しかし、あっという間に血が止まる。

天使も悪魔も、自己再生能力が高い。



(ライナット様は、戦っている)



あいつらの魔の手から。


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