*Promise*~約束~【完】
「クソッ!」
ライナットは手首を掴みながら悪態をついた。
最近、怒りを覚えた瞬間に身体の言うことが聞かなくなる。だからあまり感情を出さないように静かにしていた。
しかし、予想していたとは言えルゥの言葉に反応してしまった。その結果、拳が勝手に机を殴った。
その感覚は、もはや気持ち悪さしかない。自分の手なのに別の生き物のような、しかし、痛みを感じて、生温いような。
今も、ジンジンと手が痛みを発している。
「……消えろ」
悪魔の囁きが、聞こえてくる。
『消えるなんて無理だね。俺はおまえを気に入っているんだ』
さも楽しそうな声が耳元から聞こえる。しかし、彼にしか聞こえない声。
なのに、その声ははっきりと清々しいほどにダイレクトに聞こえてくる。
「俺の周りから消えろ」
『だから無理だって。徐々に広がる闇が、おまえを埋め尽くしてもずっといる』
「おまえ、悪魔なんだろ?俺に構っていてもいいのか?」
『ご心配なく。俺は天使に勘づかれることはまずないから』
「違う。セイレーンを野放しにしていていいのか、と聞いている」
『おやおや?そんなことを言っていいのかな?』
いいわけがないだろう!とライナットはまた拳を握りしめて殴ろうとしていた。
しかし、寸でのところで気力をふり絞りぴたりと止める。
「クソッ!なんなんだよ!」
『おー怖い怖い。んー、じゃあいいことを教えてあげよう』
笑いを含みながら悪魔は囁くと、クスクスとまた笑ってから言った。
『セイレーンはおまえの近くにいる』
「は……?」
『んじゃ、そーゆーことで』
「ま、待て!」
ライナットが叫ぶも、答えはない。
浮きかけた腰をドサッと乱暴に落として、こめかみを指で押さえる。
悪魔と対峙すると、いつも頭が痛くなる。
「なんなんだよ……」
いつもいつもあの悪魔は捨て台詞を吐いて退散する。しかも内容がいまいち掴めない。それがライナットのイライラの間接的な要因でもあった。
以前は、こう言われた。
『いつおまえを見つけたかって?おまえが目を逸らしたときさ。でも、そのずっと前から目星は付けてたよ』
目を逸らした?一体何からだというのだ。
大きなため息を吐いて、ずっと握りしめていた拳をいつまでも眺めていた。
ーーーーー
ーーー
ー
「なあ相棒」
「なに?」
「俺たちってなんなんだろうな」
「なに陰気臭いこと言ってんの」
ルゥが退院した医務室では、ガイルとハルがいた。
ガイルはベッドの上で頭の下で手を組んで寝転がっている。ハルはそれを黙認しながら窓の外を見つめていた。
「なんのために居るのか、たまにわからなくなる」
「人間のため、じゃないの?」
「だが、結果的に護りたいものを傷つけているような気がするんだ」
悪魔はもとは天使。
天使は人間を癒すために生み出されたはずなのに、元天使の悪魔がもとの任務を放棄して逆に邪魔をしている。
それがガイルには理解できなかった。
天使がいなかったら悪魔も生まれず、人間はもっと平和に生きられたのではないか、と。
ガイルは悪い、と一言言ってからベッドから立ち上がった。
「それってなにに対しての言葉?」
「シーツと変な事を言ったこと」
「自覚があるなら今後は止めてよね」
「それはどっちに対してなんだ?」
「わかってるくせに。ほら、いったいった。仕事があるんだから」
「はいはい。しわ作って悪かったな、こことその眉間に」
「……おい!」
ガイルはふっ、と笑ってから医務室を出た。
(わかってるくせに、か)
俺だってそのつもりだ。天使の根源なんてわからないし、そのことに疑問を抱いたところで答えは出ない。
だが、一度は考えるだろう?
自分はなぜここにいるのか。もともと定められていたのか、それとも偶然なのか。
もし、あの少年の家庭教師になろうと申し出なかったら?
今、ここにはいなかったかもしれないのだ。
皆それぞれに分岐点があるのは承知している。
天使に生まれたとき、悪魔の子として生まれたとき、人間として生まれたとき、またはハーフとして生まれたとき。
そのとき、それぞれに道が生まれる。しかし、分かれ道に差し掛かったときに感じるのは不安。
(当たりも外れもない)
はずだが、時間は待ってはくれない。仕方なく右に曲がってしまったそのとき、その人の人生が決まってしまったのだとしたら。
もっと、よく考えて行動すれば良かった、と後悔する。
(ライナット様には、本当に申し訳なかった)
母親の死を発見できず、不安を倍増させてしまった。リオの失踪に重なって、大事な人がすでにいなかったという衝撃。
しかし、見つけられなかったのには理由がある。
(バラモンがまさか隠蔽しているとは)
この際、はっきりとしておこう。
バドラン国王は、すでにこの世にいない。
これを、彼に伝えるか否か……
取り敢えずエリーゼに会おう、とガイルは長い廊下を足早に進んだ。