*Promise*~約束~【完】
エリーゼはその言葉に愕然とした。ガイルに聞いてはいたが、いざ言われてみると信じられない、という想いが募る。
天使と悪魔のハーフなんて聞いたことがない、とガイルは言っていた。例え産まれたてしても、精神が不安定になって生きることを選ぶのは難しいという。
そんな彼が、今まで生き延びられた理由は、復讐心。リリスへの憎しみが彼を駆り立てていたのだ。
恨みや憎しみ、悲しみは感情の中でも特に強い。これらだけで、楽しみや嬉しさが上から塗り潰されてしまうのは容易だが、部下やリオという光によってバランスをなんとか保てていたのだ。
しかし今、ライナットは完全に塗り潰されようとしている。
「ライナットの中の悪魔の部分が強くなってるんだよね?」
「そうよ。この間も自分の意志とは反して机を殴ってたわ」
「そう、なんだ……」
リオは俯くと、唇を噛み締めた。もしかしたら自分の力で助けられるかもしれない。
でも、のこのことここに逃げ込んだ自分に何ができるのか?次会ったとき、完全に悪魔に支配されていて悪魔に捕まってしまったら……
ここは、天使が大部分を占めているから安全地帯だ。しかし、いつまでもここの厄介になっているわけにもいかない。
チャンスが来ないものか。
「ねえ、悪魔たちはどこにいるの?」
「この街からは退散してるみたい。敵が多いものね」
「それなら、私が戻っても平気なの?襲われない?」
「ちょっとストップー!」
リオが意気込んでエリーゼに質問を投げ掛けていると、ピーターがいきなり割り込んできた。
その声にビクリと肩を震わせると、驚いたように彼を見た。
「リオは帰さないよ。ここにいてもらう」
「どうして?あなたたちは私を保護するために来たんでしょ?」
「そうだよ。だから、悪魔の元へは帰せない」
「ライナットは悪魔じゃない!今懸命に戦ってるの!」
「負けたら?」
「え?」
「もし……」
負けたら?
と、念を押すピーターに何も返せなくなった。もし、負けたら。
負けたら……ライナットは悪魔になる。
一度堕天した天使は、二度と天使には戻れない。
なんら人間と見た目は変わらないのに、その心は闇色に染まっている。
そうしたらもう、助ける術はない。
「じゃあ、私は彼を助けられないの?!」
リオはそう叫ぶと、目に涙を浮かべた。自分の無力さに腹が立つ。彼を助けたいのに、助けられない。
支えたいと思っている人の元へ、行けない。行きたい。行きたいのに、行けない。
グスンと声を漏らしていると、ピーターがリオの頭に手を乗せて慰めた。
「ねえ、サーカスの役目って何だと思う?」
「……?」
「天使は人間に笑いや感動を与えて、悪魔に隙を作らないように元気付ける。それを大人数にしてあげられるのはね」
ここ、とピーターは地面を指差した。
(そう、サーカスは天使の集まり。悪魔も退散するほどの、輝きを放つ)
まだ準備中だが、開演すれば人々は浄化される。よほど闇が深い人でない限り、晴れ渡った心で帰ってもらえるだろう。
それは、ライナットも例外ではない。
「彼が来ないつもりなら、こちらから行くまでだけどね」
「えっ、どうするつもり?」
「王族向けに公演するんだよ。寄ってらっしゃ見てらっしゃい、ってね」
「許可が降りればいいけど」
「大丈夫でしょ。断るってことはやましいことがあるってことで」
ピーターはふふん、としたり顔をすると、リオの頭をポンポンとしてから離れた。
しばらく彼女は何やら考えていたが、エリーゼに焦点を定めて告げた。
「やっぱり、"ライナット"に伝言があるんだ」
そうこなくっちゃ、とエリーゼは少し笑みを返す。悪魔の彼に伝言なんて、縁起でもないし、伝えるタイミングもそうそう来ない。
恐らく、ライナットにこれ以上手出しするな、とでも忠告しようとしていたのだろうが、リオの考えは変わったようだ。
エリーゼはどうぞ、と目だけで続きを促す。
「指輪を無くさないって約束して」
それは、表明。
また会うことの希望。堕天しないで、という願い。
そして、婚約は破棄しない、という未来への暗示。
その一言には、たくさんの想いが含まれていた。
リオはそれだけを言うと、じゃあ、と言ってテントから出て行った。
エリーゼは、その背かを素直に見送る。決して呼び止めることはない。
「んじゃ、近々行くから」
「よろしくお願いします」
エリーゼは淡々とした態度でサーカスの一団から去った。
そして今一度、公演をする鮮やかなテントを見上げる。
「天使は集団で行動をする……」
しかし、一匹狼になることを決意した。
だから、もう振り返らない。自分の選んだ道を途中で投げ出したくない。
エリーゼは帰るべき場所へ、足を一歩前へと踏み出した。