*Promise*~約束~【完】
「誰なんだ?」
「その前に、目星はついていますか?」
試すかのように返され一瞬息をつまらせるが、ライナットは目を逸らさないまま頭を巡らせる。
「最初はリリスだと思っていた」
「まあ、妥当ですね」
「だが……」
何かが、違う。
あの女がここまでするはずがない。噂を流しても、あいつには利益がない。
そこで、何も情報を得られていないバラモンが浮上した。リリスの部屋を行ったり来たりしているバラモンの女。
そいつが、かなり怪しい。
「なあ、リリスのところを訪ねているバラモンはいったい誰なんだ?俺はそいつが怪しいと思っている」
「なるほど。そのバラモンが怪しい、と」
「……犯人を知っているんじゃないのか?」
「いえ?名前を知らないのです。確かにそのバラモンが犯人だということは判明しておりますが」
ライナットは魂が抜けるような深いため息を吐くと、背凭れに全体重を預けた。勢いが削がれた気分だ。
ガイルは怒ったようにそんな悪魔を見た。エリーゼも見損なった、というように睨み付けた。
しかし、悪魔は微笑むだけ。
「……もういい、俺は寝る。何かわかれば後で教えろ」
「わかりました。お休みなさい」
「どうぞこちらです」
もう一度ため息を吐いたライナットは立ち上がり、エリーゼが開けた寝室への扉をくぐるとベッドにダイブした。エリーゼは扉を閉め、ガイルの隣に立つ。
ガイルも前髪を無造作に指先で掻き上げ、疲れたように息を吐いた。
しかし、悪魔は微笑むだけ。
「おまえ、笑うのやめろ」
「なぜです?」
「胡散臭い」
「そうでしょうか。あなたはその眉間のしわをどうにかした方がよろしいのでは?」
「……は?おまえ喧嘩売ってんのかよ?」
「ちょっと、うるさいわよ。ライナット様の迷惑になるわ」
売り言葉に買い言葉。ああ言えばこう言う。
エリーゼはうんざりだ、と二人の間に割って入った。まさに大人げない。
そこで、エリーゼはいったん引っ込むとお茶を持って来た。二人には座るように目で指示をする。
それに悪魔は軽く腰を折るとソファーに浅く座り、ガイルはドサッと乱暴に向かい側に腰を下ろした。
そして同時に足を組む。
「お茶飲んで少しは落ち着いたら?」
「ありがとうございます」
「……」
悪魔は律儀にもお礼を言ってからカップを手に取り、ガイルは何も言わずに優雅に指先だけで持ち上げた。
そして同時に口に含んで同時に離した。
その一連の動作を見てエリーゼは茶化した。
「本当は似た者同士なのかもよ」
「どこが」
「タイミングがぴったりだから」
その言葉にお互い顔を見合わせると、ふん、とガイルは顔を逸らした。悪魔はにこやかな笑みのまままた紅茶を一口飲む。
エリーゼは呆れたように二人を見てから、自分もガイルの隣に座ってまだ湯気が立つ紅茶を飲んだ。
うん。我ながら、いい湯加減。
「それにしても、いつ来ても人間界は興味深いですね」
「知るか」
「あなたは感じないのですか?人間界は、天界や魔界とは全く別なのだと」
「まあ、色が溢れているとは思う。天界は白過ぎて味気ない」
「魔界は比較的、光、というものがあまりありませんね。あるとしたら灯りぐらいです。太陽なんてありませんし」
「こっちは月がない」
「逆ですね。それに比べて、人間界は天界と魔界を混ぜたような不思議な世界が広がっている。ハーフも、その一つです」
なんとなく、エリーゼには空気が和んできたように感じられた。外からは日光が優しく部屋の中を照らし、鳥の囀ずりが僅かに聞こえる。街の喧騒も遠くから響いてきた。
穏やかな、人間界。
それが、崩れようとしている。
「セイレーン討伐部隊には今頃、伝達が届いているはずです。セイレーンを殺すな、と」
「ディンはこれで、リオを殺さずにすんだんだな」
「ディン?……ああ、ライナット様に酷似してるっていうリオの幼馴染みね」
エリーゼがそう呟きながら紅茶を自分のカップにそそぐと、図々しくも悪魔が自身のカップをエリーゼに進めて寄越した。
どうやら、気に入ったらしい。
「やはり、人間界の食べ物は良いですね」
「なんなら、クッキーでも持って来ましょうか悪魔さん?」
「ぜひお願いいたします!」
エリーゼの言葉にパッと目を輝かせた悪魔を見て思わずクスッと笑ってから、エリーゼは部屋から出て行った。
悪魔は楽しそうにおかわりを貰った紅茶を飲む。
ガイルはそんな彼を笑った。
「おまえ、実は甘党?紅茶も砂糖入れてるし」
「魔界にはあまり甘い物がないので珍しいのです」
「へえ。いったい何を食ってんだか」
「人間とさほど変わりませんが、栄養バランスも見映えも全く考えられていませんので、食欲はあまり湧きません」
「その身体でか?不健康な生活送ってんだなー。悪い方で痩せてんのかよ」
「あなたに言われたくありませんよ。砂糖二つも入れているではありませんか」
「……うるせぇ」
照れ隠しに睨み付ければ、悪魔は純粋にクスクスと笑っていた。調子狂うんだよおまえは、とガイルがぼやいたところでエリーゼが戻ってきた。
その手にはクッキーが盛られているバスケットが。
「おまえは犬か。そんなに身を乗り出して」
「失礼ですね。ちゃんと待てはできます」
「……」
悪魔はけろっとした態度でそう言いのけると、テーブルに置かれたクッキーに手を伸ばす。
……しかし、触れるか触れないかのところでぴたりと手を止めた。
「どうした?」
「おやおや、気づきませんか?」
ガイルはそう言われて同じように手を伸ばすと、僅かに感じる邪悪な気配。
ピリッと感じた電流のような感覚に思わず手を引っ込めた。さすがにエリーゼも首を傾げる。
「なんだって言うの?」
「……毒だ」
「へ?毒?」
「クッキーに、何か異物が混入されている」
「これは……なるほど」
悪魔は一枚を手に取り舐め回すようにクッキーを注意深く見ると、取り皿にカタッと置いた。
そして、僅かに目を伏せた。
「あの王子は、どうやら悪魔側に陥れられようとしています。これには、バラモンの念……いや、呪いとも捉えられるような呪文が掛けられています」
つまり、
ライナットが悪魔と天使のハーフだとバラモンには知られている。
そして、
バラモンはライナットが悪魔になることを望んでいる。
ということだ。