*Promise*~約束~【完】


「なんで……」



エリーゼは呆然と呟いた。

ライナットの正体がすでにバレている。それはかなり危険だ。

こんな情緒不安定なときに狙われればいつ堕ちるかわからない。悪魔になってしまったらライナットはどうなるのか。

それは、誰にもわからない。前代未聞の彼の存在はどんな立ち位置なのか。

悪魔でもなく、天使でもなく、人間でもない。


どこにも、明白には所属していない稀な存在。



「私の方でも少し調べさせてもらいました」

「何をだ?」

「彼の母親についてです」



その言葉にエリーゼは俯いていた顔を上げた。エリーゼさえも、会ったことのないライナットの母親……ナタリー。

なぜ、側室になったのか。

なぜ、天使との間に子を成したのか。いや、成せたのか。


今となっては、その口からは聞けない。



「ナタリーは約十年程前に他界しております」

「ライナット様が九歳ぐらいのとき?」

「ちょうど、ルゥを連れ出したときぐらいだな」



ガイルはエリーゼの言葉に思い出すように付け足した。

悪魔はふむ、と相槌を打ってから続ける。



「当時、彼女は三十歳でした」

「二十一歳のときにライナット様を産んだのね」

「そりゃあ、陛下のお気に入りになれるな。三人の中じゃ一番若い」



リリスや、ライアンの母親のカタリナよりも一番遅く子供を産んだナタリーが若いのも無理はない。

どこで出逢ったのか、いつ寄り添ったのかはわからない。

しかし、その溺愛ぶりは異常で、ほとんどナタリーに会った人はいなかった。囲っていた、とまではいかなかったが、ある程度の自由は奪われていただろう。

ちょうど、リオがここに来たばかりの頃のような。



「どうやら彼女は自分が悪魔だとは隠していたようです。ハーフ、というわけではないようで、魔界に出入りしたという記録がありました」

「隠せるものなのか?」

「私だって、ディンがここに侵入したときにちゃんと察知したわよ?」



そのときはライナットが否定したから騒動にはならなかったが、エリーゼは眠っているルゥを尻目に医務室へと飛び込んだ。

……だが、今にして思えばライナットは彼を庇ったことになる。

その理由はわからないが、ライナットは瞬時に察知したのかもしれない。エリーゼがディンに反応したように、素早く。

こいつは、悪いやつじゃない、って。



「ハーフの天使でさえハーフの悪魔を察知できた……それなら、この可能性が一番高いかと思います」



悪魔は一度区切ると、冷めてしまった紅茶を一口飲んだ。

それで思い出したように二人も紅茶を飲んだ。


コトリとティーカップをお皿に置くと、悪魔は足を組み換えた。



「彼の父親は、彼女が悪魔だと知りながらも付き合っていた。そして、彼女も彼が天使だと知っていた」

「……はあ?!天使と悪魔は敵同士なんだぞ?んなのあり得るかよ」

「あり得ます!!」



悪魔はドンッ!とテーブルを片手で叩いた。カタカタとカップは揺れたが倒れず、水面はゆらゆらとたゆたっていた。

その音と責めるような視線に気圧され、二人はギョッとしたまま固まった。

しばらくして、失礼しました、と悪魔は謝罪し、またもとの体勢に戻った。

しかし、二人はまだ彼を凝視したまま固まっていた。



「いえ、怒ったわけではありません。天使は悪魔を誤解しています。だから、私は天使が嫌いなのです」

「……脅かすなよ。マジでビビった」



かろうじて言葉にしたガイルを見て悪魔は苦笑すると、本当に申し訳ありません、とまた謝った。

エリーゼはその声でハッとし、今まで息が止まっていたのか、はあ、と声を漏らした。

それほど、ショックが大きかったらしい。



「……心臓に悪いわよ。まさかあんたみたいな男が大声出すなんて思ってなかったから」

「先入観を……捨てていただけませんか?我々悪魔を天使は非情なやつらだとお思いでしょうが、それは間違っています」



悪魔はさっきとは変わって静かに切り出すと、懇願するような響きをもって二人に言った。

この後の言葉は悪魔全体が思っていることだ、とエリーゼ直感的に悟った。



「我々にも"愛"があるのです。その証拠に、標的である人間と結ばれる者がいます。子供が産まれて協力して子育てをする者がいます。確かにおかしくなる時期はありますが、それは最初だけなのです。

だから、天使だった悪魔が天使を愛することもあり得るのです。私は二世ですのでそのおかしい時期はありませんでしたが」



そしてその"愛"に触れたからこそ、彼はナタリーを受け入れたのでしょう、と悪魔は締めくくった。

ガイルもナタリーもその紡ぎ出された告白を心で反芻する。そして、笑顔の仮面が外れた悪魔の素顔を見て、理解した。


"愛"には天使や悪魔……そんなのは関係ないのだと。


エリーゼは沈黙を破るように、悪魔に言った。



「悪魔さん、おかわりは?あんまり飲むとカフェインの取りすぎで眠れなくなるけど。でも、まだ明るいから平気かしら」

「……お願いします。悪魔はあまり睡眠を必要としないのでお気遣いは無用です」



悪魔が少しほっとしたような顔でそう答えると、エリーゼは微笑んだ。

容姿が悪魔でも、そう邪険にする必要はないのだ。それに、自分の淹れた紅茶を美味しいと飲んでくれるのは正直嬉しい。


そんな二人をちらりと見てから、ガイルは改めてテーブルの中央を陣取っているクッキーを見た。

バラモン……

やつらの狙いは、なんなのだ?本当に支配のみが狙いなのか?

それなら、ライナットを悪魔にする必要はないだろうに……


エリーゼにおかわりは?と聞かれてクッキーから視線を外すと、いらない、とガイルは答えた。


眠れなくなるのは、困る。

眠れるときに眠らなければ、いざというときに役に立たなくなってしまう。




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