*Promise*~約束~【完】
吐露
エリーゼが小さなテラスで物思いに耽ったようにワインのグラスを傾けていると、背後から誰かが近づいて来るのに気がついた。
しかし、敢えて無視する。
そんな彼女の態度に苦笑しながら、気配の主は目の前にある椅子を陣取った。
持ってきたグラスにトクトクと自身の瞳と同じ色の液体を注ぎ込み、クイッと喉に流し込むと喉仏を揺らしながら飲み干した。
コトン、とテーブルに置く。
「何の用かしら」
「お酒のお供がしたくなりまして」
「悪魔って酔う?」
「酔いますよ。勘違いしてもらっては困るので言いますが、いくらこの容姿でも人間と同じですので」
「刺せば死ぬ?」
「はい。人間界でも悪魔も天使も死にます」
その言葉にエリーゼは少し視線をさ迷わせたが、何でもなかったかのようにボトルからグラスへと液体をつぐ。
シオンはそれを見てみぬふりをしたかったが、彼女たちの出で立ちを小耳に挟んでいたため聞いてみたくなった。
意地悪なのは、悪魔の性(さが)なのかもしれない。
「あなたは昔、人間を殺していたと聞きましたが」
「人聞きが悪いわよ」
「事実でしょう?殺していたのに変わりないのですから」
「……私が殺してたのはっ!」
「やっと、私を見てくれましたね」
勢いに任せて顔を上げれば、悪魔の笑みが目の前にあってエリーゼはふいと視線を外に向けた。
まんまと罠に嵌まったような気分だ。
エリーゼは満足そうに笑いながら飲んでいるシオンを睨み付けたが、しれっとした顔で首を傾げられてはため息しか出ない。
整った顔が憎たらしい。
「ええ、話を聞いてからすぐにピンと来ましたよ。殺していたのは、人間界に来ていた純悪魔ですよね?」
「……だったらなんなの。私を殺す気?」
「いいえ。それがあなたの本能だったのでしょう?本能に逆らえないのは誰もが同じです」
「わかったような口振りね」
「あなたがそう感じるのなら、そうなのでしょう。実際、私はあなたの過去を勝手に詮索し、えぐり、傷口に塩を塗っている……悪魔は憎しみや悲しみ、苦い思い出が好きですから」
「……悪趣味」
「ごもっとも。では、乾杯いたしましょうか?」
は?とエリーゼは口をへの字に曲げる。
シオンはそれに苦笑しながら、グラスを持ち上げて自らエリーゼの手元にあるそれにカチンと合わせた。
エリーゼは眉間にしわを寄せてその一連を見ていたが、シオンは気にせずに口に含む。
「あんた……何考えてんの?驚きを通り越して呆れたわ」
「あなたの悪魔に対しての敵対意識とわだかまりを、少しでも緩和させたかったのです」
「無駄よ。私が殺したのは事実なんだから」
エリーゼは何かを諦めたような瞳をすると、頬杖を突いて星を眺めた。
変わらずにいつまでも輝き続ける星々。
羨ましい、と言えば嘘になる。
あそこは、あまりにも遠い。
「魔界には、太陽がありません。ちょうど、今宵のような空がいつまでも続いています」
魔界には朝はない。夜空がいつまでも続き、鶏が夜明けを告げる声を響き渡らせることもない。
太陽がある人間界。
羨ましい、と言えば嘘になる。
しかし、そこはあまりにも遠い。
人間の姿をしていても、天使に悪魔だとバレてしまう。桃源郷のような人間界にいたとしても、身の安全は保証されない。
人間界にいたとしても、そこで幸せに暮らすことは不可能だ。
「私たちは悪魔ですので、そうやって天使に暗殺されることも少なくありません。ですが、私は殺されていません。それは奇跡に近いと思いませんか?」
「馬鹿馬鹿しい」
「ですので、乾杯させていただきました」
「あんた、頭大丈夫?」
「酔ったかもしれません」
ハハッ、とシオンは朗らかに笑う。
その屈託のない笑いにエリーゼはうんざりとする反面、羨ましいと感じた。
そうやってヘラヘラと笑ったことなど産まれてから一度もない。
エリーゼがまたワインを煽れば、そのグラスを奪いとられてすべて飲み干されてしまった。
目の前の男に怒りが込み上げてくる。
「何すんのよ!」
「これ以上飲めば、明日に支障を来しますよ」
「生憎、二日酔いはしたことないのよ」
「それは凄いですが、寝不足は避けられないのではないですか?」
「何が言いたいのよ?」
「悪夢……を見るのでは?」
その言葉にエリーゼはキッと目を吊り上げれば、シオンは微笑みを浮かべるだけだった。ポーカーフェイスもここまで来ればただの凶器だ。
傷口を……弄ってはいけないところをえぐり、深くに潜んでいる何かを引きずり出す。
それが、言葉となって吐き出された。
開き直ったエリーゼは吐露する。
「そうよ。殺した相手の悪夢をいつまでも見続けているわ。声、臭い、銃声、色、引き金を引いた感触……それら全てが夢となってエンドレスに繰り返される。吐きたくなるほど鮮明にね……
何人殺したかなんて覚えてないわ。ただ、最後のターゲットだった人だけが思い出せないのよ。それが気持ち悪くてね……もしかしたら、最後の一人が夢に出るまでずっと続くんじゃないかって思い始めてる」
「思い出せないんですか?」
「そうよ。そいつのせいで私は捕まったのよ。余程勘の鋭い人だったんでしょうね、私が引き金に手を掛けた瞬間にその人に見つかったわ。たぶん、私の居場所が最初からわかっていたようなんだけれど、行為に至るまで待っていたような感じがしたわ……」
だんだんと眠くなってきたのか、エリーゼは瞼を閉じたり開いたりしながら懸命に言葉を紡ぐ。
が、睡魔に勝てそうにない。
頬杖はついに崩れてしまい、テーブルに腕を伸ばして頭を乗せた。
「男……だったかしら。殺れたのかすらも、もう、思い出せ……ない……」
すぐにスースーと心地よさそうな寝息が聞こえてきた。
悪魔はその頭を撫で、邪魔そうな前髪をかき上げて耳に掛けた。
ピンクにほんのりと染まった頬が星明かりに照らされて、艶めかしい輪郭を浮かび上がらせている。
その頬をそっと指先で撫でてから、むにっと摘まんでみるがびくともしない。
それをいいことに、摘まんで赤くなってしまったところに悪魔は口づけを落とした。
その瞳は、慈愛に満ちている。
「あなたが私を受け入れてくれるまで、何年でも待ちましょう。ですが、あんまり遅いと食べてしまうかもしれませんがね。保障はできませんよ?」
クスクスと笑いながら、今度はその額に唇を寄せる。ちゅっ……とリップ音を立てても起きない彼女。
悪魔の微笑みはさらに深くなった。
「正直に申し上げましょうか?私はあなたに恋をしてしました。あなたは私を嫌っていることを知っていますが、諦めるつもりはありませんので覚悟してくださいね?」
なぜ惹かれたのかはわからない。まだ、こうやって直接話して間もないというのに。
しかし、悪魔の中にある"愛"が彼女を欲している。それは間違いなかった。
勝率の低いこの恋はどうなるのか。
シオンはワインのように透き通っている紅(くらない)の瞳で、起き上がってくる数刻前までエリーゼを見つめ続けた。
「最後の一人……それが私だったと知ったら、あなたはどんなお顔をなさるのでしょうね」
シオンの瞳に僅かに影が差すと、近くにあった彼の手をあろうことか眠ったままのエリーゼが握り締めてしまった。
自分のよりも小さな手。にも関わらず、ぎゅっと握ってくるその温もりに。
……握り返してあげたかった。