*Promise*~約束~【完】
新生活
「失礼いたします」
ノック音の後に部屋に入ってきたメイド。
彼女は食事をリオに配達したり、洗濯物を取りに来たりと身の回りの世話をしてくれている女性だ。
リオよりも小柄だが、少し強い声で一つに纏めた髪が優雅に揺れている。
大概は何かを持ってやって来るのだが、今回は手ぶらだった。
「申し遅れました、リオーネ様。私の名前はエリーゼと申します。今後はあなた様の身の回りのお世話を専属でさせていただくことになりました」
「エリーゼさん。今後は、とはどういうことですか?今までは……」
「今まで出入りしていたのはライナット様のご命令でしたが、リオーネ様が正式に婚約者と認められましたのでただいまから専属となりました」
「……」
認められた……とは、やはりバドラン王家の上層部にということだろうか。どうやってライナットが説明したのはが気になる。
「彼はどうやって説得したのですか?」
「何もご存知でないのですか?」
「え?はい」
「へえ、なるほど……」
エリーゼはさっきまでとはうって変わって、急に声色を低くしリオを見下すような目付きになった。
まるで、値踏みをされるように上から下まで眺められる。
「やっぱり、あれは嘘ね」
そして、敬語からため口になったかと思うと、ベッドに座っていたリオの横にぼすんと腰を下ろした。
その震動と窪みでリオの身体が僅かに傾く。
「あれって?」
「あのお方はこう説明なさったわ。
リオーネと彼は一年前程にバドランとガナラの国境に位置する山で出逢った。足を負傷していた彼を手当てしたのがリオーネで、見ず知らずの彼を優しく治療してくれた。その優しさに心を打たれた彼は、一度しか会っていないにも関わらず彼女が忘れられなかった。
そして、その近くのガナラの村を襲撃しているときに偶然にも彼女を見つけた。彼女は痩せ、いかにも度合いを越えた労働をさせられているように見受けられた。彼はその姿に心を傷めて城に連れて帰った。
って感じかしら」
エリーゼは話し終えると、すかさずリオを見た。
リオはその視線にも気づかない程に呆れてかえってしまっていた。
(なんて白々しいの!)
確かに手は荒れているし痩せていたのは事実にしても、よくそんな大嘘を考えつけるものだ。
会った場所しか合っていない。一年も前ではないし、手当てもしていない。それに助けられたのは自分の方だ。
どうやら彼は頭がキレる人らしい。
「……やっぱり嘘じゃないの。驚いて何も言えないのではなくって?」
「驚いてなんかいないわ。呆れて何も言えないのよ」
「それをなぜホイホイと偉い人たちが納得したかと言うと、アリバイがあるのよ。確かに一年ほど前にライナット様は足を怪我して城に戻って来たことがあったの。あの人は王子にも関わらず出歩くのが好きでね、弓の練習だと言って度々山に足を運んでいたわ」
エリーゼは身を乗り出してリオに向かって早口にまくし立てた。しかし、それにも動じずリオは怒りをふつふつと燃え上がらせる。
「何考えているのよあいつは……」
「真実を知りたいとは思うけど、それは聞くなって言われているから余計なことは聞かないでおくわ。
で、私がなんでここに来たかと言うと、あんたにこの国のこととライナット様のことを教えないといけないからよ」
エリーゼはいかにもめんどくさそうに言った。これぐらい知っていて当たり前、と思っているのだろう。
リオはその態度に棘を感じるが、何も言わずに押し黙る。
「まず、ここはどこでしょう?」
「バドラン」
「の?」
「知らないわよそんなとこまで」
「残念時間切れ。ここはバドランの王城の北の塔。ここはライナット様の塔なのよ」
「北……」
「そう、北よ。これが意味するものを感じ取れるなんてなかなかじゃない」
北は陽の光があまり当たらない方角。つまりは、ライナットは王家の中でも身分の低い方だと言うことだ。だからリオの説明をしても、あまり興味や不信感を抱かれなかったのかもしれない。
三男というだけで北に追いやられてしまうとは。
「三男だから北ってこと?」
「それだけじゃないわ。ここからは女王様のドロドロな関係が原因しているのよ。
正室はもちろん長男を産んだ女がなれる立ち位置。陛下は三人の女性に愛情を注ぎ、子供を産んだ順に次々と格をあげた。正室の名前はリリスで、長男はアレックス。その次の女はカタリナで、次男はライアン。そして、ライナット様の母君であるナタリーってなってる」
「じゃあ、アレックスが今は有力者?」
「だから、リリスは鼻高々ってわけ。でも、陛下が一番愛しているのはナタリー様なの。するとどうなるか?」
「リリスが嫉妬するわね」
「ご名答。だから、リリスが手を回してライナット様を北の塔に追いやったのよ」
「なんだか頭の痛くなる話だわ」
「同感」
王家のドロドロに正直巻き込まれたくないが、態度をきちんとしなければならない。
話を聞く限りリリスが裏のボス女みたいな存在であり、他の妃を配下に置いているようだ。
近々対面しなければならないのかもしれない。
「他の王子に婚約者はいるの?」
「いないわ。だからあんたがやって来たのは意外だったのよ。あんたの話で持ち場は盛り上がってるんだから」
「変な噂は流れてないでしょうね?」
「まさか。逆に良い噂しかないわよ。安心してちょうだい」
「どうだか……」
「心の声漏れてるわよ」
リオはため息混じりに呟いた。この様子だと、自分がガナラから来たということになっている。
すなわち、どこから曲者が現れるかわかったものではない。出身地は曖昧になっているものの、ライナットはきっとリオがガナラ出身だと知っている。
だから、彼の思惑がまったく見透けないのだ。
「話はこれでお仕舞い。思ったよりも馬の合いそうな人で安心したわ」
「私もよ」
「でも、これだけは覚えておいて」
「何?」
「私たちはライナット様の味方だってこと」
「え?」
「それだけよ。また来るわね。あと勝手に部屋を出入りしていいけど、絶対に敷地から出ないこと。ライナット様の陣地から出れば、あんたはたちまち餌食になるから」
それじゃね、と言ってエリーゼは爽快に去って行った。
その閉じられた扉を見つめる。
「敵なのか味方なのか……」
エリーゼに敵対視されてはいないようだが、まだ観察されている気がしてならない。
手応えは上々だけど、まだ信用ならないという雰囲気だ。
(値踏みされても迷惑だわ。それに疲れる)
まだ体力が本調子でないリオにとって、長話や知らない知識を覚えさせられても疲労が溜まる一方だ。
(寝よう)
また彼女はミノムシとなり、時の流れに身を任せた。
これからの怒涛に負けないように。