*Promise*~約束~【完】
~ライナットside~
目の前に、ゾッとするような笑み。
角度のせいか?
「ライナット、あなたちょっと髪切ってもらいなさい。カタリナ様はお上手なのよ」
「ナタリー様、私はそんなに上手くありませんわ。センスが良いとは言われますが、私自身はあまりわかりませんもの」
「ご謙遜を。では、よろしくお願いいたします」
「頼まれたからにはお任せくださいな」
普通の会話。忘れていた母の声。
カタリナは母様と普通に話しているが、俺にとっては恐怖でしかなかった。
下から窺う、カタリナの顔。
それは、背筋が凍るほどの完璧な笑みだった。やっと、願いが叶うような、そんな笑み。
「では行きましょう」
「いい子にするのよ」
「母様……!」
それが、母様と話せた最後だった。その後は坂を転がるように世界が転がり落ちて、絶望した。
何の望みも無くなったが、野望を植え付けられた。
それは、世界への憎しみ。自分だけ世界から除け者にされたという、深い恨み。
それは、カタリナの世界と一緒だったのかもしれない。
幸せな記憶は、カタリナの持ったハサミによって断ち切られた。
「あなたは今日から一人よ。孤独を味わいなさい。そして堕ちるのよ」
「い、やだぁ……」
「抵抗しても無駄。あなたは母親と離され、隔離され、自由を奪われる。それはすべてリリスのせい。リリスはあなたの母親に嫉妬している。それは、陛下がナタリーを可愛がっているから。一番王妃に近い者なのに蔑ろにされて、リリスはあなたも憎んでいる。あなたもリリスを憎んでいる」
狂ってる。
そう思っていたのに、いつの間にか俺も狂わされていた。
言葉が脳にダイレクトに響き渡る。染み込む。
俺はリリスを憎んでいる。あいつが母様を俺から奪い、自由も奪ったから。それは、嫉妬からの俺への当て付け。
「過去のあなたとはうまれ変わり、新しい自分を見出だしなさい。恨みを糧に生き、堕ちて、この世界を壊しなさい。悪魔と天使の力を合わせ持つあなたなら、超越した力を発揮できるのよ。その力で世界を破壊しなさい」
「リリス……」
「そう。リリスがあなたの全てを奪った」
ジャキッ。
鼓膜を揺るがすその音に、俺の中に芽生えたのはもはや憎悪しかなかった。
リリス。リリスが俺から全てを奪った。
カタリナは確かに何も奪ってはいない。
だが、憎悪を与えた。それが、俺の幸福を黒々と塗り潰して、輝いていたあの頃を上書きした。
あの頃。それは三歳ぐらいだ。三年の月日では、母の記憶を叩き込むには短すぎて、憎しみを叩き込まれるには早すぎた。
早すぎたからこそ、俺は堕ちていない。
俺は仮の憎しみの中で、ある感情が芽生えた。
カタリナも予期していなかったその感情。
それは、"愛"だった。
リオへの"愛"が、俺の軌道を以前とは違う道ながらも、修正していった。
リリスへの復讐心は、いとも簡単にリオによって断たれた。くだらない。くだらなさすぎる。
俺はいったい、それだけのために時間をどれだけ無駄にした?棒に振ったんだ?
誰も教えてくれない。
なら、自分で気づくまでだ。
それで、俺は気づいた。
俺の仮そめの復讐心は、呆れるほど長い時間保存されていたのだと。
リリスは問題行動を起こしているが、それは恐らくカタリナに操られたためだ。だからアレックスはリリスの嫉妬を知らない。実際に嫉妬をしているかもしれないが、そこまで深くないのではないか?
アレックスが気づかない時点でリリスの嫉妬は浅いものだ。アレックスはたまにヘタレだが、いつもならもっと鋭い。そんな彼が気づかないのだから、
嫉妬なんて、無いのかもしれない。
だったら、俺が憎むべきはカタリナか?いや、リオがいたら言われるな。
『憎む相手って必要あるの?』
確かにいらないな。必要ない。
では、俺がするべきことは。
カタリナを、バラモンにしてやることだ。国外追放をしたってさほど意味はない。追放先で同じことをするだけだ。
バラモンの力を持つのに、仲間になれない。
それを克服させれば、万事解決するはずなんだ。
「ライアンお兄様、話してくださってありがとうございます。カタリナ様は苦しんでおられる……それを緩和させるにはバラモンの仲間入りにさせれば良いのでしょう?」
「それは、できないよ」
「なぜです?」
「母さんはすでに、バラモンを自分のものにしようとしてしまったから。バラモンはね、もう機能してないんだ」
「どういう意味ですか?」
「母さんが……バラモン自体を操ってるから。母さんは二度儀式を受けた。それって、力を二回受けたことになる。そうなると力が二倍になって、もう暴走してるのかも……ねえ、ライナット、お願い。母さんを元に戻して。昔は優しかったんだよ。頭を撫でてくれた。でも今は……人間じゃないよ……!」
「お任せください。俺が必ず戻してみせます。この歪んだ世界の均衡を正しましょう」
「ライナット!……ごめん、僕はその先には行けない。僕はお呼びでないから」
右に曲がってたどり着いた行き止まり。
この先には、隠された空間があるという。
ライアンは涙を浮かべて俯いた。
「僕は案内するように言われただけなんだ。だからあそこであったのは偶然じゃないよ。呼ばれてるのはライナットと君と、ライナットの婚約者」
「リオか……今ここにはいないね」
「ライナット様と私とリオ……」
「面白くありませんね」
「ああ……バカにされてんのか俺たち」
「だから、こんな結界は無意味だと言っているでしょう……!」
シオンが壁に手を触れさせれば、バチバチと拒絶する火花が散るがやがてそれは無くなった。
ガイルも同じことをして結界を攻略させた。悪魔にも天使にもバラモンの結界は効果を持たない。
「君たちは……いったい何者?」
「悪魔と天使です。どちらがどちら、とは自ずとわかりますよ」
「テメッ!喧嘩売ってのかよ。それだと俺が悪魔でおまえが天使みたいに聞こえんだろーが!」
「よくおわかりで」
「さっさと行くぞ悪魔!」
「天使に指図される覚えはありませんね」
前を行く犬猿の仲の二人を眺めながら俺は前へ進む。
俺の後ろからエリーゼがついてきた。振り返ればルゥとハルとダースが不安そうな顔をしていた。
俺は軽く手を挙げ心配無用だ、と示して上げた。直後、目の前の壁に爪先が当たるがぶつからない。
この先の空間がどうなっているのかはわからないが、招待されたからにはそれなりのおもてなしはあるだろうな?
リオ。おまえがここに来るように仕向けられているんだろうとは思う。
だが案ずるな。俺が絶対におまえを護ってやる。
だから、早く来いよ。
おまえの顔が見たいんだ。