*Promise*~約束~【完】
「……ねえ、どうなってるの?」
「話せば長いわ」
「それ答えになってないからっ」
ヒソヒソとリオは登場してからエリーゼに話しかけるも、心許ない言葉に一蹴されてしまった。
酷く自分が場違いな気がしてビクビクとしていたけれど、ちらっと視線を上げればバチッとカタリナとおぼしき女性と目が合い気まずくなる。
あの不機嫌なオーラが怖い……
「セイレーン……あなたさえいなければ、私の計画は今頃終わっていたはずなのよ!」
「ふぇっ……」
突然怒鳴られビクッと肩を揺らす。
(なんか怒ってるよ目がつり上がってるよ!怖いんですけど!)
エリーゼの後ろに隠れるようにして窺うも、その視線から逃れることができない。
知らない人に怒鳴られたら反論のしようがない。悪いことをした覚えはないし、謝る動機もない。
しばらく隠れていたものの、一向にその怒りは収まりそうになったため諦めてエリーゼの影から出ることにした。
「ふーん、生で見るのは初めてだな」
「……えっ?んっ……」
すると、横から手が伸びてきたかと思えば頬を撫でられる。ぞわぞわっと髪の先まで痺れが起こったように感じられて固まるしかなかった。
目線だけ横にずらすと、そこには愛しい人の姿が……だけど違う。ライナットではない。
「あなたは、誰?」
「俺?こいつを利用していた悪魔だよ。最近は乗っ取ろうと試行錯誤してたんだけど、ここにきたらすんなり表裏逆転できちゃって拍子抜け」
「ライナットは無事……?」
肩を竦める彼におずおずと聞けば、ニヤリと不敵な笑みを向けられてドキッとする。
中身は違えど彼は彼だ。今までそんな表情を見たことがなかったから不覚にも胸が踊る。
それを知ってか知らずか、ライナットは今度は色の変わった髪を一房手で掬う。
「さあね。消えてたりして?」
「どうしてそんなことを言うの?」
「どうして?おまえこそ何言ってるの?」
「あなたはあんまり怖そうじゃないのにどうして嘘を言うのかなって」
「……はあ、敵わないよ」
急に興醒めたようにライナットがリオから離れると、髪が指先からサラサラとこぼれ落ちた。
それは光沢を放ちながらリオの背中に戻る。
「カタリナ、おまえは怖いんだとよ」
「ふん、セイレーンに好かれても虫酸が走るだけよ」
「ところでさ、あんたはそこから動かないわけ?いや、動けないのかな?」
「……」
「そこから身体を転送させれば、俺たち二人を撃ち落とせる角度はいくらでもあるのに……どうして?」
少しの沈黙の後、カタリナはその口を開く。
「……教えてあげましょうか。私の周りには結界が張ってあるのよ」
「へえ、それで?」
「私が巻き沿いにならないようにするための保護の結界よ。もうちょっと力を練りたかったけど、そろそろかしらね」
「まだなんか隠してるわけ?」
「まだまだあんなのは序の口よ。本番はこれから」
そう言ったカタリナは杖を上に掲げてその先端に埋まっている宝石を輝かせると、今度は床に杖を思いっきり突いた。
ドンッ!と音と共に彼女の足元には魔方陣が赤黒く浮かび上がり、続いてリオの真後ろにも同じような魔方陣が光り始めた。
しかし、急いで避けたその魔方陣はカタリナの足元にあるものとは桁違いにデカい。危うく魔方陣に踵が付きそうになったが、ライナットが腕を引いてくれたおかけで助かった。
ある大きさまで魔方陣は大きくなると、ピリピリと電流を発し始め、続いてけたたましいパチパチという破裂音が混じってきた。
だんだんと募る不安に押し潰されそうになっていたときに、今まで黙っていたシオンが声を張り上げた。
「皆さん伏せてください!」
「どうしたんだよいきなり!」
「ケルベロスが来ます!」
「はあ?!バカ言ってんじゃねえよ!魔界の猛獣がなんで来んだよ!」
音がうるさいためにガイルが負けじと怒鳴るが、シオンは焦って説明できる余裕がない。
「いいから伏せて!」
シオンがそう言った直後、雷鳴が魔方陣の中央に降り注ぎ爆風が吹き荒れた。
シオンの言葉通りに伏せていなければ身体はぶっ飛んでいたかもしれない。
思わず瞑っていた瞼を恐る恐る開ければ……キラリと光る牙。
黒くて大きな巨体。不機嫌そうに尻尾が揺れている。
四本足で立っている足から顔に振り仰げば、こちらをギロリと睨む鋭い六つの目……三つに分かれた頭が遥か上空にあった。
そして、いきなり腹の底まで響くような雄叫びを上げたその生き物は……
ケルベロス。魔界にいるはずの生き物だった。
「ちゃんと躾はなってんだろうな?」
「いえ、あくまでもケルベロスは野生ですので……天界の白いカラスと同じです」
「はあ?!じゃあおまえでも制御不能ってことか?」
「こいつらは獰猛な肉食獣ですので、平気で悪魔も平らげます。いったいどれだけの使い魔が犠牲になったことか……」
「犬ならちゃんと躾しろ!カラスの方が賢いじゃねーか!……っぶねー!」
ケルベロスは足を降り下ろすと、また雄叫びを上げた。
降り下ろされたシオンとガイルは左右に飛び退くが、発生した風で僅かに飛ばされる。
ケルベロスは視線を巡らせると、リオを捉えた。いきなりロックオンされて冷や汗が止まらない。
「冗談でしょ……?」
「さあ、宴の始まりよ!」
カタリナが高らかに宣言すると、ケルベロスは首輪から解き放たれた犬のようにリオに迫った。
息を吐き出す呼吸がやけにクリアに聞こえて足がすくむ。膝がガクガクと震えていて動かせない。
ただ見上げることしかできなかった彼女を引っ張ったのは、紛れもなくライナットだった。
「しっかりしろ」
「ライナット……?」
「状況はだいたいわかってる。身体を取り戻すのに手間取った。動けるか?」
「なんとか……」
「短剣、持ってるな?離さずに手に持ってろ」
「あれ使うの?あんなのじゃ太刀打ちできないよ!」
「あんなので戦えなんて言ってない」
おまえは隙をついてカタリナの結界を壊せ。
そう耳打ちされて振り向くが、鞘から剣を抜き取っている背中しか見えなかった。
そんな彼の横には、銃を構えたエリーゼと、いつの間に持っていたのか弓矢を構えているガイルとシオンが立っていた。
「おいおいおい、なんで三人も遠距離派なんだ?」
「安全ですからね」
「こういうのって性格出るわよねー……だから、あんたたちは似てるのよ」
「「……」」
「無駄口を叩くな、来るぞ!」
ライナットの言葉でさっと散る。
翼を持っているガイルとシオンは上空に飛来して、上から矢を放ってケルベロスを撃つも固いのか弾かれてしまった。
カランカラン……と金属製の矢が床に落ちる。
「固っ!悪魔はどうやってこいつを討伐してんだよ!」
「目を狙ってます」
「全部か?」
「当たり前です」
「ホネが折れるぜまったく!」
狙われているというのに、そんなのは眼中にないのかケルベロスはただリオを追うだけだった。
慌てて逃げ回るものの、いつあの攻撃が当たるかわからない。
リオは疲れでクラクラとする頭で必死に考えた。
自分が倒れるのが先か、六つの目が潰されるのが先か。
絶対に、逃げ切れない!
と確信したリオだが、何か策があるわけでもない。それにこの長い髪が邪魔なのだ。ここをケルベロスに踏まれでもしたら一貫の終わりだ。
「うううう~……」
グルグルと逃げ回っていたリオだったが、カタリナが視界に入って閃いた。
そろそろ限界に近いし、今のところ命中しているのは四つの目だ。ケルベロスも必死なのかリオを忘れてメチャクチャに暴れまわっている。
「おーい!こっちだよー!」
グルルルル……と血走った残った二つの目に映ったのは、美味しそうな人間の姿。濃厚な匂いが鼻腔を擽る。
ケルベロスは涎を流してだらっと舌を垂らしながらリオに襲い掛かった。
しかし、リオは何事もないように悠然と立っているカタリナにツツツ……と近づく。
「ちょっと失礼」
「は?」
ひょいっと片足からカタリナに近づけば、少しだけ弾力感を感じた後にそれも無くなる。
その直後にケルベロスの強靭な足が振り下ろされた。
しかし結界によって弾かれケルベロスはバランスを崩し、その巨体を傾かせてドシンと床に倒れた。
ケルベロスと同様に結界も揺らめくと、均衡が崩れたのかペリペリと剥がれ始めた。透明な欠片が七色に輝きながら消えていく。
大成功!とリオが思ったのも束の間、カタリナは素早い動作でリオが持っていた短剣を奪い取ると、その首に切っ先を向けた。
ケルベロスを倒せて安堵していた四人はそれを見てピシリと固まる。
カタリナはさも愉快そうに肩を揺らし始めた。それに乗じて短剣もカタカタと揺れるためリオは気が気ではない。
「アハハハハハハ!バカめ!自分から歩み寄って来ようとは!」
「リオ!」
「おっと、近づくでない。それ以上近づけば、この首から血が流れることになるぞ。なかなか演技は堪えるのお、頬がひきつっておるわい」
急に嗄(しわが)れた声になったカタリナに驚いたが、ライナットが名前を呼んで一歩踏み出せばカタリナがキツく制した。
エリーゼの目に映ったカタリナのその容姿は、もはや老婆でしかなかった。エリーゼだけではない。ガイルにもシオンにも、その姿は確認できた。
が、ライナットの雰囲気がまたガラリと変わる。
「俺は肉体労働が嫌いでねー。こいつにわざと任せた甲斐があったよ」
「ちょっと、あんたどうにかしなさいよ!」
「何を怖がる必要があるんだろうね?結界が無くなったあいつは本来の姿を晒したんだよ。ここでは裏に隠されていたものがひっくり返される場所だから」
「なんでそんなに余裕なのよ?」
「あいつは力を使えない。ケルベロスもそこにのびてる。ということは、何も恐れることはない」
「あの短剣はどう説明する気?」
「あんた、何か勘違いしてない?」
「え?」
「俺はただあいつに復讐したいだけなんだ。そのための犠牲は惜しまないよ?」
「あんた……」
エリーゼはさっと顔を青ざめさせると、銃を彼に向けた。
しかし、その歪んだ口元が元に戻る気配はない。それどころかさらに笑みは深くなった。
「所詮俺も悪魔の端くれさ……撃てば?俺もこいつも死ぬけど」
「私は……」
エリーゼはどこかふっきれたような表情で彼を見つめる。彼女の瞳を訝しげに見つめていれば、今度はエリーゼが破顔した。
「私は、ライナット様に背中を撃つ許可を貰ってるのよ。ライナット様自身の意志でなくても構わないわ……間違ったことをしようとしてたら迷わぬ撃て、と命じられてるの。生憎、命令に逆らう神経は持ち合わせてなくてね」
エリーゼは泣いているようにも笑っているようにも捉えられるような顔で、引き金に手を掛けた。
このままではこの悪魔がいつ行動を起こすかわからないから、この手で……
その顔で冗談ではないことを悟ったのか、彼は両手を挙げ、降参の意を示した。
「悪かった悪かった。本気にしなくてもいいのに」
「冗談言ってる風には聞こえなかったけど」
「俺だって命が惜しいんだよ」
「仲間割れは見ていて気持ちが良いものだねえ、そのままでも良かったのにねえ……でもここらでおいとましようじゃないか」
「っ!待てクソババア!」
「ハッハッハ!自力でここから出られればいいねえ?」
足元に先ほどのような魔方陣が現れると、カタリナと呆気にとられているリオはそこに沈んでいくように消えてしまった。
ずっと白い空間の床の下に沈んでいたバラモンたちもそれと同時にいなくなり、ケルベロスも塵となって消えた。
残された四人がただ立っているだけとなった。