*Promise*~約束~【完】
「バラモンって大変?」
「全然よ。ロゼこそ、旦那さんと子供とは上手くいっているのかしら?」
「もちろんよ。リオは聞き分けのいい子だから楽ちんだわ。こっちとしてはもっと甘えてもいいのにって思う」
「ライアンはもうべったりなのよ。本当にこんな子が私の子供なのかって疑うわ」
「あはは、カタリナはクールビューティーだもんね」
「そこ笑うところなのかしら?」
「あはは、ごめんごめん」
仲間に見つからないように極秘でそんな他愛ない会話を少ししては帰るという日々。バラモンはあまり外には出ない。
しかし、異例のバラモン昇格のカタリナにとってはかけがえのない一時だった。異端者として白い目で見られる毎日。
だが、やはり身分が高くなり生活が確立されたから文句はない。明日の心配をする必要がなくなったのは大きな糧となっていた。
唯一、自分を理解してくれているロゼ。
ロゼも、自分を信頼して何もかもを話してくれている。
二人は国境を越え、身分を越え、いつしか親友となっていたはずなのに……
悲劇は起こった。それは、カタリナが術の練習をしていたときに、不運にも見てしまったその瞬間の出来事……
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「遠くの出来事を見られるような術を練習していたときに、見てしまったのよ……その日は大雨だった。私は室内にいたから雨は感じなかったのだけれど……」
「……」
リオは詳しくは母親の死因を知らない。
ただ、雨に濡れた父親が何も言わずに抱き締めてくれただけ。その顔は雨のせいか泣いていたように思えた。
そして、棺を見て周りの見知った顔が泣いているのを見、そして母親の白くて冷たくなった顔を見たとき……
やっと、母親の死を理解できた。でも、それも遠い記憶。
「滝の頂上で何かを必死に採ろうとしている彼女がいた……雨が降って地面はぬかり、川の水量も増えて流れも速かった。ロゼの指先には何か草があったかしらね、恐らく薬草だと思うわ。彼女はそう言う類いに優れていたもの。そして、危ないと思いつつも見守っていたら……落ちてしまったの」
「落ちて……?」
「落ちて下流に流されて……あとは知ってるんじゃないかしら?」
「……うん」
その薬草は、牛の乳の出を良くさせる薬草だ。
そう思い当たったリオは愕然とした。
頑なに首を縦に降らない毅然とした父親の姿。
(そうか……だから山に行くのだけは反対されたんだ。それで、内緒で行って帰って来たときも怒らなかった。怒りよりも安堵が大きかったから)
父親の態度の裏に気づいたリオは、無性に会いたくなってしまった。こんなところでこんなことをしている暇はない。
「ねえ、いつまでこうしてる気?」
「さあね、日が沈んだらあなたを落として帰るだけよ」
「……それは困る」
「あら、やっと王子様の登場かしら」
カタリナが静かに告げたとき、荒い息と共に背後から制止の声がかかった。
カタリナに身体の向きを変えさせられると、そこにいたのは息せき切ったライナットが立っていた。一歩手前にはガイルが隔てるように立っており、その足元にはムギが座っている。
リオが何かを言う前に、ライナットがガイルよりも前に出て言い放った。
「リオを離せ」
「ライナット様!あまり前に出ては……」
「そう。それ以上近づけばこの子は死ぬ」
「……何が望みだ」
「あなたが堕ちる……それだけよ、望みなんて」
「俺を堕とさせてどうする」
「世界を壊して神を降臨させるのよ!そうして、神を倒して私が神となり、あの子を蘇らせるの!」
「馬鹿馬鹿しい。神など存在しない」
「いいえ、神はいるわ。神がこの世界を創造し、悪戯に構築し、今がある」
カタリナは意気込んでそう言った。それに共感できるものはここにはいない。それは、彼女がバラモンだからなのだろうか。
……神になる?身の程をわきまえろ。
ガイルとライナットは二人して思った。
一方、リオは動揺を隠せない。
(お母さんが蘇る……?そんなことができるのだろうか。死者を復活させられたら、神はとっくにしてるはず)
「……それが、動機か」
「そうよ。死んだ者に会いたいと願うのは誰もが思うことよ。あなただってそうでしょう?」
カタリナは同意をライナットに求めた。
しかし、ライナットは首を横に振って否定する。
「生憎、過去を水に流すと決めた」
「母親に会いたいと思わないの?」
「その母親を殺したのは一体誰だ?自作自演をして何が面白いんだよクソ!」
ライナットは吐き捨てるように悪態をつくと、迷わず腰から剣を抜いた。
ガイルも懐から銃を取り出す。
カタリナはそれまでの笑みを消し、二人を見据えた。
「正気?」
「そっくりそのまま返すぜクソババア」
「年寄り扱いするけど、あなただって年寄りじゃないの」
「関係ねえな。天界にいようが人間界にいようが、俺の存在なんざちっぽけだ」
「天界にいればいいものを……あちらの方が時が過ぎるのが遅いのに」
「永くても、意味はない。内容が詰まって短い方が生き甲斐ってもんが見つけやすい」
「天使は人間が羨ましいのね」
「それの何が悪い?」
「……無い物ねだりなんて、見ていて辟易するものよ」
カタリナはふっと笑うと、リオの首に短剣をさらに近づけた。
くっと喉から息が漏れる。
ギリッと奥歯を噛み締めてライナットは隙を窺うが、今の彼女には迷いがなく、近づけそうなタイモングが訪れない。
ガイルも銃を構えているものの、カタリナとリオとの間が近すぎて撃つ機会を狙っている。
「愛する者を目の前で何もできずに失った悲しみ……あなたにも味わわせてあげる」
「えっ……」
ドン、と衝撃を食らわされたと同時に、身体を襲う浮遊感。
今度の落下は、真っ逆さまにすがる物もなく落ちていく。
腕を引っ張ってくれる者も、いない。
眼下に広がるは、水のみ。
「クソっ!」
一瞬、ライナットの顔が映ったものの、それは僅かですぐに岩壁が視界を制した。
そして、暗くなり始めた空。
オレンジと水色が混ざり合った絶妙な色彩から、
遠ざかっていく。
(お母さんも、こんな感じだったのかな……)
風を感じ、寒さを感じ、水と共に落ちていく孤独。
まるで自分が滴り落ちる透明な雫石にでもなったような、そんな感覚。
でも、なぜか恐怖は感じなかった。
────ジャボンッ!
川の中に、何かが落ちた。