形なき愛を血と称して
序章
ーー
発情期でもないのに、牧草地にいる羊たちがやけに鳴く午後二時。
放牧している羊たちは、基本、あまり鳴かないものだ。草を食べ、くちゃくちゃと口の中で反芻をし、また草を食べるお気楽な動物が蝉のようにけたたましく鳴いているのでは、牧場主たるリヒルトは猟銃を片手に重い腰を上げるしかない。
金髪の主が立ち上がったことで、足元で寝息を立てていたキング・シェパードの耳が反応する。恭しくも立ち上がり、飼い主を守るように一歩前を歩く。
「ま、大方は予想ついているけどねぇ」
家にいない『彼女』が発端であると、リヒルトは苦笑する面持ちとなった。
ただし、物見遊山でいられないのは、自身が所有する土地に『良くないモノ』が住み着いているからでもあった。
羊の皮を被った狼にも近しい油断ならない物。知らずと群れに紛れ込む化け物相手には、いつも身構える気持ちとなる。
何よりも、今はーー
「死ねない理由が出来たからねぇ」
死にたくない理由があったんだ。
牧羊犬を従え、いざ、リヒルトが外に足を踏み出せばーーまず、思ったのが綿飴だ。
牧草地の真ん中。優に百匹以上はいる羊たちが一カ所に集まっている。
メエメエと鳴き、押しくらまんじゅうの真っ最中。どうしたんだと思えば、綿飴の真ん中にマリーゴールドの花が一輪ーーもとい、橙色の髪色をした女性が立っていた。
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