少女
『それは理想の果て』
少女が綴るは、理想の自分。
少女が辿るは、希望なき道。
少女は孤独だった。
早くに母親を亡くし、男手ひとつで育てられた少女は、ひどく内向的な性格ですごく人見知りをし、他人と話すときもしどろもどろだった。
父親も、少女が大きくなると共に仕事漬けの日々になり、家を空ける日が多くなったそうだ。
学校でも、家でも、少女はいつも独り。
その性格と容姿が原因か、はたまた稀に出てしまう気味の悪い笑い方のためか、同級生からは恐れられ、蔑まれ、迫害を受けてきた。
だが、少女はそれよりも耐えられないことがあった。
母親譲りの綺麗な黒髪。それが少女には耐えられないほどの屈辱だった。
誰かに似た自分が。誰かと似てしまった自分が、何よりも許すことが出来なかった。
母親に似てしまった自分を、母親を思い出すその髪の毛が、母親が犯したその行為が、母親という存在そのものが、少女には苦痛でしかなかった。
だが、少女はそんな母親を侮蔑すると共に尊敬の念も抱いていた。
なにものにも縛られず、自由を貫いて亡くなった、そんな母親が少女は羨ましかった。
ある日のこと。
少女は学校の帰り道で同級生のノートを拾う。
そこには授業の内容は一切書かれていなかった。代わりにノートを埋めていたのは、夢の世界。
その同級生は授業中に自分の理想の世界を綴っていたのだ。
物語にもなっていないような幼稚な文字の羅列。けれど、少女にはそれが眩しく映った。
――わたしにも、こんなお話が書けるかな――
少女は家に帰るなりノートを机に広げ、自分がなりたかった自分をそこに書いた。
外交的で、見知らぬ相手ともすぐに打ち解けられて、友達が何人もいて、きっと親友がいつもそばにいてくれる。毎日が光り輝いている世界。
同時に絶望が少女を襲った。
そんな風になれなかった自分。そんな風になることを許されなかった自分。いくら手を伸ばしても届くことのない、綺麗な世界。そんな世界を見上げながら、自分は汚れきった世界で生きていかなくてはいけないこと。
そして思い出す。
母親の最期を。
赤く染まり、二度と動くことの無い人だったそれを見下ろして、自分の中に眠っていた本能に気付いた時の絶望を。
――わたしの中には、絶望しか残されていない。なら――
その時、少女の世界から、光が消えた。
「ねぇ、お父さん」
とある日の夕食後、少女は父親に尋ねました。
「わたしは、変な子? 頭のおかしい変わった子?」
父親は、表情一つ変えることなく答えます。
「そうだよ、頭のおかしい変わった子だ。何と言ってもこの僕と、お母さんの子だからね」
少女は、その返答が気に入らなかった。
「わたしは、お父さんに似るのは嬉しいけど、お母さんに似るなんて絶対嫌」
「なんでだい?」
「だって、やり方が綺麗じゃないんだもん」
父親は、大笑いしました。
「そうだね。お母さんはあんまりそういうのは気にしていなかったな。けれど、その行為自体が綺麗なものじゃないんだから、それは仕方が無いんじゃないのかな」
少女はなおも食い下がろうとしたが、自分のそれもあまり綺麗なものじゃないと思い出し、話題をそらす。
「最近ここら辺で通り魔が多いからって来週から集団登校と集団下校なんだ」
笑いながらそう言う少女に、対して父親も笑いながら言う。
「それは大変だ。私も気を付けなければ」
それが起こったのは、その次の日だった。
少女がいつもの時間に普通に学校へ登校すると、自分の教室が真っ赤に染まっていた。
どこを見ても赤く染まり、床は人の肢体が散乱し、悪臭があたりを漂う。
「おお、随分早い登校なんだな」
教室の中心には少女の父親が立っていました。
洋服を赤く染め、手には動物の解体などに使われる巨大な包丁と、誰のものかわからない左腕。
「お父さん……」
「だって集団登校とか集団下校とか、嫌いだろう? だから、出来ないようにした」
「でも、これは……」
少女は、ずっと我慢していた。
ずっとずっと、我慢してきた。
けれど、この瞬間、少女の中から湧き出た感情は――
「これは、わたしの役目じゃない。なんでお父さんが先にやっちゃうのよ。わたしが、この手で、ぐちゃぐちゃにしたかったのに」
興奮だった。
少女は異様な光景の教室に興奮し、自分の衝動を抑えきれずに、既に意識の無いその亡骸をさらに切り刻む。原型を留めず、それが何だったのか、言われなければ気付かないほどに細かく小さく、少女は切り続ける。
「だからほら、一人やらずにとっておいたんだ」
そう言う父親の足元には、血だらけでうずくまり泣くことも叫ぶことも出来ずにいる女の子がいた。
少女はその女の子を押し倒し、ゆっくりと両腕の指を折る。
あごの関節を外されているらしく、女の子は涙を流すしか出来なかった。
指がおわると、足、肋骨と続け、父親から借りた包丁を女の子の首に突き立てる。
「可愛い顔だね。わたしのコレクションとして、飽きるまで可愛がってあげる」
フラッシュバックする。
母親が、自分を殺そうとしたときのことを。
手順も、凶器も、放った言葉も、全てが一緒だったとこを。
自分が何より嫌がっていた人間と、全く一緒の行為をして、全く一緒の衝動に駆られ、全く同じ手順で人を殺めようとしている。
その叫びは、声にならなかった。
少女はこれまでも沢山やってきた。これからもきっと沢山するだろう。
けれど、あの人と、母親と同じになるのは死ぬほど許せなかった。
「……お父さん」
「なんだい」
「やめた」
「なんでだい」
「わたしは、自分がなりたかった自分になれないのは許せる。他人から迫害され、淘汰されることも許すことが出来る。けれど……」
少女は涙を流しながら、かすれた声で言った。
「けれど、自分がなりたくなかったものになってまで、生きたくは無い。沢山沢山やってきたし、こんな勝手な理由で自分だけ綺麗に終わろうとは思わないけれど、それでも、わたしはもう、一人だって人を殺したくない」
「……そうか、わかった。とりあえずはもうここを出よう。長居しすぎた」
少女と父親は、手を取り合い、教室を出て行く。
その後姿は、なんの変哲も無い幸せそうな親子そのものだった。
「……と、そこまでが少女の覚えている父親との記憶です」
「その十二時間後、母親のお墓の前で父親の遺体のそばで倒れているのを保護されたと」
「はい。恐らく心中に失敗でもしたんでしょう。父親の死因である胸部の刺し傷には迷いが一切ありませんから」
「けれど、何で少女だけ生き残ったんだ?」
「父親が刺したと思われる刺し傷には、ためらいが見られました。残虐非道な殺人鬼も、自分の娘だけは殺せなかったということでしょう」
「で、その少女は今どんな状態だ?」
「状態? 元気も元気ですよ。先週も二人、看守が殺されましたから。きっともうあの少女は殺しをやめられませんよ」
「そう言えば、君。見ない顔だな。名前は?」
「名前? わたしの名前ならその資料に何回も書かれていますよ」
少女が辿るは、希望なき道。
少女は孤独だった。
早くに母親を亡くし、男手ひとつで育てられた少女は、ひどく内向的な性格ですごく人見知りをし、他人と話すときもしどろもどろだった。
父親も、少女が大きくなると共に仕事漬けの日々になり、家を空ける日が多くなったそうだ。
学校でも、家でも、少女はいつも独り。
その性格と容姿が原因か、はたまた稀に出てしまう気味の悪い笑い方のためか、同級生からは恐れられ、蔑まれ、迫害を受けてきた。
だが、少女はそれよりも耐えられないことがあった。
母親譲りの綺麗な黒髪。それが少女には耐えられないほどの屈辱だった。
誰かに似た自分が。誰かと似てしまった自分が、何よりも許すことが出来なかった。
母親に似てしまった自分を、母親を思い出すその髪の毛が、母親が犯したその行為が、母親という存在そのものが、少女には苦痛でしかなかった。
だが、少女はそんな母親を侮蔑すると共に尊敬の念も抱いていた。
なにものにも縛られず、自由を貫いて亡くなった、そんな母親が少女は羨ましかった。
ある日のこと。
少女は学校の帰り道で同級生のノートを拾う。
そこには授業の内容は一切書かれていなかった。代わりにノートを埋めていたのは、夢の世界。
その同級生は授業中に自分の理想の世界を綴っていたのだ。
物語にもなっていないような幼稚な文字の羅列。けれど、少女にはそれが眩しく映った。
――わたしにも、こんなお話が書けるかな――
少女は家に帰るなりノートを机に広げ、自分がなりたかった自分をそこに書いた。
外交的で、見知らぬ相手ともすぐに打ち解けられて、友達が何人もいて、きっと親友がいつもそばにいてくれる。毎日が光り輝いている世界。
同時に絶望が少女を襲った。
そんな風になれなかった自分。そんな風になることを許されなかった自分。いくら手を伸ばしても届くことのない、綺麗な世界。そんな世界を見上げながら、自分は汚れきった世界で生きていかなくてはいけないこと。
そして思い出す。
母親の最期を。
赤く染まり、二度と動くことの無い人だったそれを見下ろして、自分の中に眠っていた本能に気付いた時の絶望を。
――わたしの中には、絶望しか残されていない。なら――
その時、少女の世界から、光が消えた。
「ねぇ、お父さん」
とある日の夕食後、少女は父親に尋ねました。
「わたしは、変な子? 頭のおかしい変わった子?」
父親は、表情一つ変えることなく答えます。
「そうだよ、頭のおかしい変わった子だ。何と言ってもこの僕と、お母さんの子だからね」
少女は、その返答が気に入らなかった。
「わたしは、お父さんに似るのは嬉しいけど、お母さんに似るなんて絶対嫌」
「なんでだい?」
「だって、やり方が綺麗じゃないんだもん」
父親は、大笑いしました。
「そうだね。お母さんはあんまりそういうのは気にしていなかったな。けれど、その行為自体が綺麗なものじゃないんだから、それは仕方が無いんじゃないのかな」
少女はなおも食い下がろうとしたが、自分のそれもあまり綺麗なものじゃないと思い出し、話題をそらす。
「最近ここら辺で通り魔が多いからって来週から集団登校と集団下校なんだ」
笑いながらそう言う少女に、対して父親も笑いながら言う。
「それは大変だ。私も気を付けなければ」
それが起こったのは、その次の日だった。
少女がいつもの時間に普通に学校へ登校すると、自分の教室が真っ赤に染まっていた。
どこを見ても赤く染まり、床は人の肢体が散乱し、悪臭があたりを漂う。
「おお、随分早い登校なんだな」
教室の中心には少女の父親が立っていました。
洋服を赤く染め、手には動物の解体などに使われる巨大な包丁と、誰のものかわからない左腕。
「お父さん……」
「だって集団登校とか集団下校とか、嫌いだろう? だから、出来ないようにした」
「でも、これは……」
少女は、ずっと我慢していた。
ずっとずっと、我慢してきた。
けれど、この瞬間、少女の中から湧き出た感情は――
「これは、わたしの役目じゃない。なんでお父さんが先にやっちゃうのよ。わたしが、この手で、ぐちゃぐちゃにしたかったのに」
興奮だった。
少女は異様な光景の教室に興奮し、自分の衝動を抑えきれずに、既に意識の無いその亡骸をさらに切り刻む。原型を留めず、それが何だったのか、言われなければ気付かないほどに細かく小さく、少女は切り続ける。
「だからほら、一人やらずにとっておいたんだ」
そう言う父親の足元には、血だらけでうずくまり泣くことも叫ぶことも出来ずにいる女の子がいた。
少女はその女の子を押し倒し、ゆっくりと両腕の指を折る。
あごの関節を外されているらしく、女の子は涙を流すしか出来なかった。
指がおわると、足、肋骨と続け、父親から借りた包丁を女の子の首に突き立てる。
「可愛い顔だね。わたしのコレクションとして、飽きるまで可愛がってあげる」
フラッシュバックする。
母親が、自分を殺そうとしたときのことを。
手順も、凶器も、放った言葉も、全てが一緒だったとこを。
自分が何より嫌がっていた人間と、全く一緒の行為をして、全く一緒の衝動に駆られ、全く同じ手順で人を殺めようとしている。
その叫びは、声にならなかった。
少女はこれまでも沢山やってきた。これからもきっと沢山するだろう。
けれど、あの人と、母親と同じになるのは死ぬほど許せなかった。
「……お父さん」
「なんだい」
「やめた」
「なんでだい」
「わたしは、自分がなりたかった自分になれないのは許せる。他人から迫害され、淘汰されることも許すことが出来る。けれど……」
少女は涙を流しながら、かすれた声で言った。
「けれど、自分がなりたくなかったものになってまで、生きたくは無い。沢山沢山やってきたし、こんな勝手な理由で自分だけ綺麗に終わろうとは思わないけれど、それでも、わたしはもう、一人だって人を殺したくない」
「……そうか、わかった。とりあえずはもうここを出よう。長居しすぎた」
少女と父親は、手を取り合い、教室を出て行く。
その後姿は、なんの変哲も無い幸せそうな親子そのものだった。
「……と、そこまでが少女の覚えている父親との記憶です」
「その十二時間後、母親のお墓の前で父親の遺体のそばで倒れているのを保護されたと」
「はい。恐らく心中に失敗でもしたんでしょう。父親の死因である胸部の刺し傷には迷いが一切ありませんから」
「けれど、何で少女だけ生き残ったんだ?」
「父親が刺したと思われる刺し傷には、ためらいが見られました。残虐非道な殺人鬼も、自分の娘だけは殺せなかったということでしょう」
「で、その少女は今どんな状態だ?」
「状態? 元気も元気ですよ。先週も二人、看守が殺されましたから。きっともうあの少女は殺しをやめられませんよ」
「そう言えば、君。見ない顔だな。名前は?」
「名前? わたしの名前ならその資料に何回も書かれていますよ」