ガラスの靴じゃないけれど
山本時計店を最後に訪れたのは、約一カ月前。
今では再開発に反対しているのは、靴工房・シエナと山本時計店だけだと開発事業部で小耳に挟んだ。
でも今日は、この話題を口にするのはよそう。
だって今日の私は、野口不動産株式会社の社員として光が丘駅北口商店街を訪れたわけではないのだから。
彼は元気にしているのかと、靴工房・シエナの様子が気になりつつも、もう二度と覗き見はしないと胸に誓った私は、山本時計店のガラス戸を開ける。
「こんにちは」
チクタクと静かに時を刻む時計たち。
机の上に置かれたルーペに工具。
久し振りに訪れた山本時計店は、時が止まったような錯覚がするほど何も変わっていない。
でも店内には、主であるゲンさんの姿が見当たらなかった。
もしかしたら奥の居間にいるのかもしれないと思った私は、声を掛けながら障子に手を伸ばした。
「ゲンさん?」
遠慮がちに開けた障子の隙間から見えたのは、居間に横になっているゲンさんの姿。
もしかしてお昼寝中?と思った時。苦痛に歪んだゲンさんの表情が目に飛び込む。
「ゲンさん!」
何でこんな時に限って、アンクルストラップのサンダルを履いてきてしまったのだろうと後悔した。