ガラスの靴じゃないけれど
その後ろ姿を必死に追い駆けた私が見たのは、山本時計店の居間で救急車を呼んでいる彼の姿だった。
電話を切った彼は、横たわるゲンさんに寄り添うと必死に声を掛ける。
「ゲンさん。すぐに救急車が来るからな。すぐに楽になるからな」
「ひ...響」
彼の言葉に小さく頷いたゲンさんは、震える指で居間の茶箪笥を差した。
必死で何かを訴えるゲンさんに代わって、私はその茶箪笥に向かう。
そして、ゲンさんの視線の先にあった引き出しをゆっくりと開けた。
そこにあったのは、“響へ”と宛名が書き記された一通の茶封筒。
私はその封筒を手にすると、彼に差し出す。
「ゲンさん?これを俺に?」
苦しいはずなのに、ゲンさんは少しだけ口元に笑みを浮かべた。
閉じられていない封筒の中から彼が取り出したのは、数枚の便箋。
「わかった。後でゆっくり読むよ」
その便箋を封筒の中にしまった彼は、身に着けたままの作業用エプロンのポケットの中に入れた。
遠くから救急車のサイレンの音が聞こえてくる。
「ゲンさん。頑張って」
シワシワなゲンさんの手を握りながら、私は込み上げてくる涙を我慢した。