ガラスの靴じゃないけれど
「じゃあ運転手さん。桜台駅までお願いします」
「え?」
ゲンさんの入院準備を手伝うつもりでいた私にとって、この展開は想定外。
アンクルストラップのサンダルを履くのに手間取っていると、無情にもタクシーの後部座席のドアが音を立てて閉まった。
「あっ。ちょっと!響さん!」
慌てる私のことなど関係なく、タクシーは滑るように走り出す。
後部座席から振り向いた先に見えたのは、山本時計店の前で佇んでいる彼の姿だった。
手を振ることなく私を見送る姿は、彼らしいと言えば彼らしいのかもしれない。
私が『停めて!』と懇願すれば、運転手さんはきっとタクシーを停めてくれるはず。
でも口が悪くて頑固な彼が、今さら私の手助けを受け入れるとは到底思えなかった。
徐々に小さくなっていく彼の姿を見つめながら、思うことはただひとつ。
仕事が終わったら、毎日ゲンさんのお見舞いに行こう。
ゲンさんに早く、元気になってもらうために......。