ガラスの靴じゃないけれど


私たちを乗せたタクシーがお寺に到着したのは、18時前。

冷房の効いたタクシーから降りた私たちを襲うのは、身体に纏わりつく八月の蒸し暑さ。

額に滲む汗を拭いながらお寺の門をくぐり、受付を済ませて奥に進むと本堂に辿り着く。

そこで見たのは、ゲンさんの遺影が飾られている祭壇だった。

優しい笑みを浮かべるゲンさんの写真を目にしたら、堰を切ったように涙が零れ落ちてしまった。

また来ると、約束したのに......。

病院で交わしたゲンさんとの最後の会話を思い出しながら、ハンカチで涙を拭う。

それでも涙が勝手に込み上げてきてしまう私が見たのは、驚く光景だった。

ゲンさんの遺族席に座っているのは、喪服を着た彼ひとり。

参列者席も光が丘駅北口商店街のお年寄りが、数名いるだけ。

過去に何度か葬儀に参列したことがあったけれど、こんなに寂しいお通夜は初めてだった。

松本チーフと望月さんも同様のことを感じたのだろう。思わずその場で立ち竦んでしまっている。

その私たちの元に大きな歩幅で向かってきたのは、ついさきほどまで遺族席に座っていた彼。

「このたびはご愁傷さまです」

松本チーフが口にしたお悔やみの言葉と共に頭を下げた私たちの上から振ってきたのは、彼の低い声だった。


< 168 / 260 >

この作品をシェア

pagetop