ガラスの靴じゃないけれど
野口不動産株式会社が夏期休暇に入ると同時に、私は毎日のように靴工房・シエナを訪れて、彼のお手伝いに励んでいる。
もちろん、彼に手伝って欲しいと言われたわけではない。
私が、勝手に始めたことなのだ。
靴工房・シエナに向かう電車に揺られながら思い出すのは、彼が涙を流しながら眠りに落ちた日のこと。
----「あれ?俺...」
二時間ほどで眠りから目覚めた彼は身体を起すと、掛けられたタオルケットを見つめながら癖のある髪の毛を掻き上げた。
泣きながら眠ってしまったと私が言えば、強がりな彼はきっと恥ずかしがるに決まっている。
だから私は、何事もなかったように振舞ってみせたのだった。
「お茶淹れますね」
「あ、ああ」
台所でお湯を沸かした私は、急須と湯呑をお盆に乗せると居間に戻る。
そして居間の座卓の上で湯呑にお茶を注ぐと、彼と共にそれをすすった。
「人が淹れてくれた温かいお茶を飲んだのは久しぶりだ。オマエ、お茶淹れるの上手いな」
彼の褒め言葉を初めて聞いた私の頬が、勝手に緩む。
「そうですか?」
「ああ。その...迷惑を掛けたな」
彼が湯呑を見つめながら言った『迷惑』とは、きっと泣きながら眠ってしまったことなのだろう。