ガラスの靴じゃないけれど


「実は、俺が旅に出ようと思ったのには理由(わけ)があるんだ」

私を抱きしめていた腕を解き放った彼は、コツコツと足音を響かせながら、重量感のあるアンティークな作りの戸棚の前に立つ。

そして扉を開けると戸棚の中から黒い箱を取り出し、作業台の上にそっと乗せた。

「俺が再開発に反対していた理由は三つある。一つ目は身寄りのないゲンさんが行き場を失うことを避けるため。二つ目はジイさんから継いだこの店を守るため」

以前、山本時計店でゲンさんと話をした時のことを思い出す。

彼が口にした二つの理由は、ゲンさんが話した通りだった。

けれど、残るあと一つの理由をゲンさんははぐらかした。

その答えが今、彼から聞けるとは思ってもみなかった私は、ゴクリと喉を鳴らした。

「三つ目は、ジイさんが果たせなかった夢を叶えるためだ」

彼はそう言うと、作業台の上に置いた黒い箱の蓋をそっと開けた。

その箱の中を覗いてみれば、品の良いベージュ色のパンプスの片方だけが入っている。

「このパンプスを持ち主に返すこと。これがジイさんの果たせなかった夢だ」

どうして片方だけのパンプスを返すことが、彼のお爺様の果たせなかった夢なのか理由がわからない。


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