ガラスの靴じゃないけれど
石畳の階段を数段下りた私は足を止めると、鞄の中からある物を取り出す。
今、私が手にしているのは初めて彼と出会った時に履いていたチェリーピンク色のパンプス。
もちろん修理などされておらず、壊れたままの状態だ。
指が震えるのは寒さのせいなのか、それとも緊張のせいなのかわからない。
とにかく心を鎮めるために大きく深呼吸をすると、手にしていたチェリーピンク色のパンプスを足元にそっと置いた。
私ができることは、ここまで。
あとは、彼がこのパンプスに気付いてくれるのを祈るしかない。
もちろん、こんなことをしても、チェリーピンク色のパンプスが彼の手に渡るという確証はない。
むしろ、パンプスが彼の手に渡る前に清掃の人に拾われてしまったり、野良犬に持って行かれてしまう可能性の方が高いのかもしれない。
それでも私は、このパンプスが彼の手に渡るというわずかな確率に懸けてみたかったのだ。
本当だったら広場のベンチに座って、彼が現れるのを待ち続けたかった。
でも今日の午後の便で東京に戻らなければならない私には、シエナの広場でのんびりと彼を待っている時間などない。
石畳の階段を下りた私が振り返った先に見えるのは、寂しそうに佇む片方だけのチェリーピンク色のパンプス。
自分の心と同調しているパンプスをこれ以上見るのが辛くなった私は、急ぎ足でシエナの広場を後にした。