ガラスの靴じゃないけれど


握っていたシゲさんという人の手首を離しながら呆れ顔を見せた彼は、黒髪をワシャワシャと掻き上げた。

「シゲさんには、もう二度と尻を触らないように注意しておくから許してやってくれ。悪かった」

棒付きキャンディーを口から出して手に持った彼は、私に向かって深々と頭を下げた。

紳士的な彼の行動に焦ったのは、この私。

「い、いえ。こちらこそ助けていただいて、ありがとうございました」

彼の知り合いであるシゲさんという人に、お尻に触られたのは確かにショックだった。

でも彼が謝ってくれたお蔭で、不快な気分が薄らいだのも事実。

複雑な思いを抱えながら彼に向かって頭を下げると、いつの間にか隣には望月さんの姿があった。

「何か不都合がありましたか?」

彼に対して話し掛ける望月さんの口調は、あくまでも穏やか。

けれど、縁なし眼鏡の奥の瞳は色が無く冷たい。

「いや。何もないよな?野口不動産の...一条若葉さん?」

「え?あ、はい」

首から下げている社員証を覗き込みながら、彼は私の名前を呼んだ。

フルネームを呼ぶ彼の声は、先週、身分を明かさなかった私に対する嫌味が含まれているように聞こえるのは、気のせい?


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