真夜中の猫

静かな夜

亮の悩みは日に日に増して行った。
それは単純なものではなく、自分の存在意義や生きる価値まで問いかけてくるような呪縛にとらわれていた。
大学を出て大手の建設会社に入り、そこを辞めてからは迷う時もあったが何とかここまで基盤を固めてきた。
今では小さなアパートも持ち、資産も少しはある。
だがこの先それが増えたとしてもそこまでだ。
自分が残せるものはそんなものしかない。
自分を受け継ぐものが亮にはいなかった。
でもそれは百合子も同じだった。
もしかしたら自分より強くそう思っているかもしれない。
そこで考えはいつも止まってしまった。
亮がパソコンに向かっている間、百合子はソファーで本を読んだりしていた。
特に話すこともなく、それぞれの時間を過ごしていた。
とても静かだった。
すべての秩序が整い、時計が狂わずに時を刻むように整然とした空間だった。
ふと、亮はパソコンのキーボードから手を外し、椅子に深くもたれかかり、宙をみた。
回転椅子を右に左に動かし、放心していた。
静かな部屋には椅子のキーキーという音が響き出した。
さすがの百合子も異変を感じた。
「どうしたの?」
しばらく亮は答えなかった。
「亮?」
「考え事をしてたんだ。音出してごめん。」
「疲れてるんなら早く休んで。私ももう寝るね。」
「おやすみ。」
もし、百合子に別れを切り出したら、きっと自分を責めるだろう。
亮が子供を欲しがっているのは百合子も知っていた。
だが、どうしても自分のすべてをかけられる、かけがえの無い存在が欲しかった。
暖かで賑やかな家族を作りたかった。
理想はすぐ手の届くところにそろっていた。
しかし、亮には手出しが出来なかった。
こんな風に思うこともいけないことなのか?
人なら当たり前に与えられたものと思っていたのに。

亮は悩んだまま、鈴と航に会いに行った。
呼び鈴を押すと扉が開き、それと同時に
「おじちゃん!!」
と歓声があがった。
「おじちゃん、見て!鈴が作った折り紙。」
「おじちゃん、相撲しよ!」
鈴と航はずっとおじちゃんから離れなかった。
それからは2人にねだられ毎週くる様になった。
鈴と航と遊んでばかりいるので、寛美はその間に買い物に行ったりした。
「いらっしゃい」と「ありがとう」しか言葉をかわさないときもあった。
亮と子供達が遊んでいる様子は誰が見てもやはり親子にしか見えなかった。
「おじちゃん」という呼び名だけが居心地悪く響いていた。

寛美の家から帰って自分の家のドアを開けると静寂が待っていた。
亮は目を閉じて鈴と航、それとさやかが飛び出してくる様子を想像した。
それはとても幸せな光景だった。

夜になって百合子が仕事から帰ってきた。
亮は食事を作って待っていた。
食事の間もほとんど会話がなかった。
先に亮が食べ終わり、百合子が食べ終わるのを待って亮が切り出した。
「突然なんだけど、俺と別れてほしい。お互い一緒にいる意味がないと思うんだ。」
百合子の手が止まった。
「なに、突然。もしかして子供がいないから?」
「子供は関係ない。」
「じゃあどうして?」
久しぶりに百合子の荒ぶった声を聞いた。
「静かすぎるんだ。ここは。この先、一緒にいてもどっちかが息がつまるだけ。俺はもう耐えられないかもしれない。俺の身勝手だけど出て行こうと思う。」
「どこにいくの?女でもいるの?」
「狭いけどアパート借りようと思ってる。女なんていない。1人になりたいんだ。」
亮は少しだけ寛美を思い浮かべたが、直ぐにかき消した。
「私、離婚なんていやよ。2人でずっと仲良くしてきたじゃない。」
「そうだね。ケンカなんてはじめてだ。」
「我慢してたの?」
静かに百合子が聞いてきた。
「そんなんじゃないんだ。最近このままで良いのかって考えるようになって。百合子には何の問題もない。ただ俺が変わりたいって思ってしまった、ただの身勝手なんだ。ごめん。」
「わけがわからない。とにかく別れるなんて絶対に嫌よ!」
そう言って百合子は自分の部屋に閉じこもった。
亮はため息をつきながら夕食の片付けをした。
それが終わると、自分の部屋に入り窓から夜空を眺めた。
オリオン座が水平線にうかんでいた。
きらめく星達はその輝きを分け与えるかのようにふりそそいだ。
亮の気持ちはまっすぐにポーラースターに向かっていた。


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