真夜中の猫

決意

2人はゴールデンウィークの3日間をずっと一緒に過ごした。
一緒に出かけて、同じものを食べて、また同じところに帰る。仮の同棲生活は初めてで気恥ずかしく、新鮮でお互いの知らないところをしれた。亮は意外とナーバスで、枕の硬さやマットの硬さが翌朝の体調を左右した。寛美は亮が横に寝ているだけでちょくちょく目が覚め睡眠不足になっていた。
見送る時にはやっぱり涙が止まらなかったが、3月の別れの時とは何もかも違った。
2人で過ごした時間は寛美に信じる勇気を与えた。亮の世界にも自分がいる事が分かって安心した。
だから手を降る時だけは笑顔で見送った。

それから寛美は毎月、フライトをする事になった。亮に会いに行くために。
飛行機なんてそれまで修学旅行で乗ったくらいで始めはドキドキしていたが、回を重ねるとビジネスマンの様に軽装でマナーも身につけられるようになった。
ただ問題は降りてからだった。大阪の街は寛美には優しくなかった。まず、人は多いし地下街に惑わされるし、目新しいものばかりで、何度きてもみた事ある風景というものを見つけられなかった。

いつもは空港まで来てもらうのだが、そろそろ慣れて来たから1人で行けるという寛美の小さなプライドが災いした。
亮の指令は “待ち合わせはBIGMAN” だった。亮と一緒に寛美もいったことがあるらしい。何となく大きなディスプレイが記憶にあった。
だが、案の定、迷い子になった。
携帯の充電は残りわずかで、最後の望みに亮にかけた。コールにはでず留守電になり、メッセージを残している時に電源が落ちた。
寛美は後悔した。同時に、やっぱりかとほくそ笑んでいる亮を頭に浮かべ落ち込んでいた。
しょうがなく、公衆電話を探して亮にかけた。
「今どこ?」
「本屋さんにいる。紀伊國屋。わかる?」
「そこから離れないで待ってて。」
雑踏は規則正しく寛美の前を通り過ぎて行った。電源の入ってない携帯電話は寛美を孤独にした。
この街には寛美の居場所はなかった。亮の隣だけが許された場所のような気がした。
なんて遠いところに来たんだろう。
それでも必死に雑踏の中に亮の姿を探した。なかなか見つからない。一ヶ月ぶりだから変わったかもしれない。何も出来ずに気持ちは不安と焦りでいっぱいだった。
その時だった。
聞き覚えのある舌を鳴らす音が寛美の耳に響いた。雑踏の中でも鮮明に聞こえた。いつも亮が寛美を呼ぶ時に使うあの音だった。二度目にあった時に暗闇から聞こえて来たあの音。そして音の先に亮がいた。
「やっと会えた。」
2人は手を握りあい体を寄せ合った。
空白の時間を埋めていくように大きく一息ついた。
「いこっか。」
明日にはまた手を降らなければならない。2人の時間はもうカウントダウンを始めているかのようだった。隣にいるのに、手を強く握りしめればにっこり笑って握り返してくれるのに、切なかった。明日別れるための儀式みたいだった。
それと、寛美は感じていた。亮の横顔をみながら亮の世界が広がって変わりつつあることを。しゃべり方や歩く早さ、笑い方なんかがひとつひとつ変わってみえた。間違いなく新しいこの地で亮は順応していき、何かを獲得して何かに気がつかなくなっていた。
寛美はさみしくなった。繋いだ手を強く握りしめた。
「ねえ、」
「なに?」
「ううん、やっぱ何でもない。」
伝えたかったが諦めた。伝える自信もなかったし、言ったところでどうしようもないからだ。
亮と寛美のいる場所の遠さを実感し、ビルの合間に見える小さな空を見上げた。
そしてぎゅっと唇をかみしめた。

真冬の大阪の街はネオンが綺麗で人ごみの中を歩くにはあまり寒さを感じなかった。それでも時折ビルの合間から吹き抜ける風は冷たく、2人の距離を近づけた。大阪の街中を歩き、途中で定食屋で夕食を済ませ、2人はホテルに入った。
寛美は歩きっぱなしで疲れていたのですぐにベッドに腰掛けた。
亮はお風呂の用意をしてくれていた。湯船からもくもくとあがる蒸気ですぐに部屋が温まりそうな気がした。それから部屋のなかの設備を見て回り、ソファーに腰掛けドリンクなどのメニュー表を見ていた。
「こうやって会うのにも慣れたね。」
「そうだね。いつも来てくれてありがとう。」
「こっちこそ、忙しいのに時間作ってくれてありがとう。」
寛美は少し言いにくそうに苦笑いを浮かべた。
「あのね、ちょっと前から考えてたんだけど、私がこっちに来たらダメかな?」
「引っ越してくるってこと?」
「うん。やっぱりお金かかるし、就職先ならいくらでもあるし、今の病院には行きたくて行ったわけじゃないし。どうかな?」
「大変じゃない?」
「大変と思うけど今よりはいいと思う。しばらくこっちにいるんでしょ?」」
「今のところはそうだけど。」
「ダメかな?」
「うーん、来てくれるのは嬉しいけど大変じゃないかって思う。」
亮は寛美の隣りに腰掛け頭を撫でた。
「大丈夫だよ。じゃあ、決まりでいいね!」
寛美は思い立ったら止まらない性格なので、帰ってからしないといけない事が次々と頭に浮かんだ。
亮は少しため息を漏らし、浴槽の様子を見に行った。お湯は十分溜まっていたので寛美を呼びシャワーを浴びた。
寛美は引っ越したらしたい事なんかを話し続け、ベッドに入るまで話していた。
寛美は亮のそばで暮らせる日々を夢見て眠りに着いた。


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