純愛は似合わない
頭の中が白くなりそうなのは、きっと酸欠のせい。……そうに違いない。

必死に自分の中の欲望と戦って、他のことを考えた。

今日の予定とか、これから連絡しなくてはいけない相手とか。

それにしても、速人から微かに香るトワレの奴が、私の思考の邪魔をする。
絡みつくように、記憶を呼び覚ます。……傷口のカサブタを無理矢理剥がすことも無いのに。


「痛っ」

突然の痛みに、目の前にあった速人の胸を思い切り押した。

下唇を噛まれたらしい。

「馬ッ鹿じゃないの? 朝っぱらから人の口噛むなんてサイテー」


速人は私の抗議を無視した。まるで何事も無かったような顔をして、自分のデスクに戻り書類を広げ始める。


王様の謁見時間は終わったってこと?


私は完璧に冷えたコーヒーを飲み干してから、立ち上がった。

唇はまだヒリヒリしていたが、この場で傷に触って確かめるのも癪に障る。


「早紀」

黙って部屋を出ていこうとした私の背後に、速人は静かな声で話し掛けた。

「僕はここに戻って来たし、お前は僕の婚約者だ。……自重してくれ」

「それも契約外」

ニヤリと笑って見せる私も相当、嫌な女かもしれないけれど。

自分だけが傷付くのって悔しくて仕方がない。

速人も私の欠片程度でも、苦い思いをすれば良いのに。


私は社長室のドアをそっと閉めた。
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