てのひらの温度
Sec.5 記憶の奥底
歩くことは、生きているという実感を得ることと似ている。昨日からのたった二日足らずだけれど、私は以前つまりは旅に出る前より明らかに歩いている。だから生きているという実感が強く感じられる。
「ウター、腹へった」
「あ、そう」
「ウタはさ、俺ともっと仲良く旅する気はないの」
「ない。そもそもあんたが勝手についてきただけでしょ」
空が駆けていく。地球が廻っているのに、感じるのはいつも、空の速さや風の速さだ。
私はもっと自分の歩みを感じたい。血が巡るのをさわりたい。如何なるときも脈拍に寄り添っていたい。
旅館や土産物屋が軒を連ねる町並みを眺めながら歩く。少し前から気になっていたが、紺は存在感がない。いや、単に影が薄いというのではない。なんというのか、その、存在感を消すことに長けている気がするのだ。隣にいるのは視界の端に映るからわかるのだけれど、ちょっと目を離すと本当にわからなくなる。
意図してやっているのか否か。ただ、紺が存在感を消すタイミングは、私が話したくないときと一致する。
「ウタ、あそこなんかいい感じじゃない」
「どれ」
しばらく歩いたところで紺が指を差したのは、程よくさびれた旅館だった。旅行ガイドに載るような、半ば無理矢理日本風を気取った旅館とは違い、本当に年季を重ねてきた風情がある。地味だけれど、こんな目的のない旅にはぴったりだと思った。