てのひらの温度
だから期待なんて、しない。この旅館だけでなく、全てのあらゆるものに。
「一部屋でよろしければご用意できますが」
女将さんは私と紺を交互に見つめて、怪訝そうに言った。
やっぱり変なんだ、私と紺の組み合わせって。姉弟という雰囲気でもないし、恋人にも見えるかどうか危うい。かといって不倫旅行というのも違う、となれば不審がるのも無理はないだろう。
「一部屋で構いません。よろしくお願いします」
軽く頭を下げた私に上品に微笑んだ女将さんは、「ただいまご案内致しますので少々お待ちください」と言って奥に消えていった。
「一部屋って、誘ってんの」
「冗談は顔だけにして」
「俺、顔悪くないと思うんだけどなー」
へらへらふざける紺をあしらっている間に女将さんが戻ってきて、部屋を案内された。
部屋は十六畳程で、南側の大きな窓からは豊かな山々が覗く。電話や冷蔵庫など必要最小限の電化製品しかない空間は、私の心をとても落ち着かせる。
畳に荷物を放り投げて大の字になってみる。
気持ちいい。
なんでこんなバカみたいな旅してんの、とか、なんであの人ばかり思い出すの、とか、そんなモヤモヤは畳が吸い取ってくれているようだ。
「温泉入りたい」
「入ってくれば」
「一緒に入る?」
「そんなにお湯に沈みたいの」
ちぇー。と本気なのか冗談なのかわかりかねる口調で、紺は部屋を出ていった。たぶん冗談だろうけど。