てのひらの温度
* * * * *
いつも同じ場所でつまずいてしまうことを怒られた夜だった。どうしても、三十六小節目の八分音符のタイミングがずれてしまう。いっそピアノごと消えてしまえればいいのに、と思った。
その日は過呼吸が治まるのに時間がかかった。まだ効率よくおさめる方法を身に付けていなかった頃だ。空気を吸い続け吐き続けた喉はからからに渇いていた。
水でも飲もうと布団から這い出ると、まだリビングには明かりが灯っている。もう日付が変わっているのに、めずらしく誰か起きているのだろうかとリビングを覗いた。
彼女がいた。泣き疲れたのだろうか、ソファーに転がったまま、すやすやと寝息を立てている。
小さな頃から自室を与えられ、ひとりで眠ってきた私は、彼女の寝顔を見るのは久しぶりだった。
無防備な寝顔。どうしてできないの、なんで間違いばかり繰り返すの、私を怒らせて楽しいの意地の悪い子、と言った口は今はただ細い息が通るだけ。刺すような視線も瞼の下に隠れ、眉間に寄った皺の陰も見当たらない。
このままずっと寝ていればいいのに。起きなければいいのに。目を覚まさなければいいのに。
彼女の前に立ち尽くし、私はそれだけを思った。
そして、少し経って気付いた。目を覚まさないことが何を意味するのかに気付ける程度には、私は物事を理解していた。
恐くなった。そんなはずはないのに、今考えたことが彼女にバレるのではないかと怯えた。自分の中のどろどろした感情に傷付いた。眠り続けることを願ってしまうまでに彼女を憎んでいたことを初めて知った。