てのひらの温度
* * * * *
嫌な記憶が飛び出して、思わず耳を塞ぐ。薄くなった波の音は誰かのすすり泣く声のよう。紫はぐんぐんと勢力を拡げて、うしろには黒が頭を覗かせている。
潮でつうんとした鼻の奥。もう夜だ。時計もなにも持っていないので今が何時なのかも、旅館を出てどのくらい経ったのかも分からない。
あーめんどくさい。めんどくさいめんどくさい。なにもかもがめんどくさい。そのまま砂浜に大の字に寝転ぶ。今頃紺は旅館でどうしているだろうか。別にどうでもいいか。紺だって私がいないことに気付いても気に留めはしないだろう。
このままここで寝転んでいたら明日になる。明日の私は今日1日分の記憶を増やして、細胞分裂の総回数を増やして、また一歩死に近づきながら、今日の私とつながっているのだろう。0時になった瞬間にリセットされて切り離されることはない。
誰かと交わることがない代わりに、私は過去の私を引き連れて歩かなくてはいけない。下ろせない荷物。それは、すごく、すごく重たい。
生きているのだと、感じたい。全身で強く強く感じたい。それには、私には、昨日はいらない。