【完】軒下
 ……―――――


「ねぇたっちゃん!風邪引くよ、まだここにいようよ」
「うるせぇ!俺は早く帰りたいんだよ!」


 確かあの時も、ここで二人雨宿りをしていた。今日のような土砂降りの雨、視界も定かでない中、幼かった彼は無理に私の腕を振りほどいて。


「たっちゃん……っ!」


 半分泣きそうな私に、彼は乱暴にこう言い放った。この台詞だけは、今も鮮明に覚えている。あの時の、“たっちゃん”の声で。


「いつまでもたっちゃんたっちゃんって、いい加減にしろよ!うぜーんだよ、その呼び方も…っ」


 言い過ぎた、彼自身そう思ったのだろう。不自然に言葉を詰まらせたけれど、訂正することも無い。ただ、私はこの出来事以来彼をたっちゃんと呼ぶのを、やめた。


 ―――――……


 未だ静寂を極めたこの空間で、雨粒だけが騒ぎ立てる。どちらが会話を切り出すともなく、只管この空気を噛み締めた。

 不思議と沈黙は痛くも苦しくもなくて、あんなことがあっても互いに許した心の広さは大きいものだと改めて感じた。別段それに拘っている訳ではないけれど、ここで持ち出す程の話題が浮かばないのだから仕方ない。


「……楠谷」


 そんなことを思っていれば、彼の方が口を開く。其方に目を向けようとすれば、その途中で私は、この軒下に飛び込んできた新たな来客に視線を奪われた。
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