声を聞くたび、好きになる

 お酒に酔って記憶を無くしたのが、ずいぶん遠い日のことに思える。

 その一方、仕事の多忙さに意識を持っていかれたおかげで思い出さずに済んでいたことが、ふとした時に頭をよぎる時がある。

 思い出深い書店でたまたま見かけた流星と見知らぬ女性の姿――。

 考えると胸がつまるから、なるべく考えないようにしていた。

 それでも考えてしまいそうになると、決まって海音からの電話が鳴ったり、直接家に顔を出してくれたりした。

 仕事のアドバイスも丁寧にしてくれたし、寝食を忘れて作業する私の代わりにご飯を作ってくれることもある。

 海音は、家事慣れしている私以上に料理が上手かった。昔から両親が不在がちで、二歳年下の妹もいたから、自然と料理スキルがアップしたらしい。


 海音とは、仕事のパートナー以上恋人未満、みたいな関係が続いている。

 屋形船で一緒に食事をした日に告白されたのが幻だったんじゃないかと思うくらい、それっぽい雰囲気にはならないし、可愛い等といった口説き文句も口にしなかった。

 担当編集として、私の仕事に支障が出ないよう気を配っているのかもしれないし、私が海音に振り向くのを待っているのかもしれない。それは海音本人にしか分からないことだ。

 どちらにしても、私に対してとても気を遣ってくれているのが分かる。


 私の父方の親戚なの?

 海音にそう尋ねる機会はいくらでもあったのに、お母さんからその事実を聞かされた後、私はそれを確かめなかった。

 確かめても良かったのかもしれないけど、私は昔の海音を覚えていないから、そんな状態で過去のことを訊(き)いても、海音をガッカリさせてしまうだけかもしれないと思った。

 海音も海音で、自分が私の元親戚だとは打ち明けてこないし、その気配もない。


 世間の学生達が夏休みを楽しんでいる頃、運良く私も一週間の休暇をもらえることになった。

 仕事が一段落着いたタイミングだったから、なおさら爽快感でいっぱいになる。夏休みを目前に控えた小学生の気持ちに、今なら目一杯共感できそうだ。

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