10円玉、消えた
「はい、これ」
母親が岡持を竜太郎に渡す。
やはりその表情には、どこか険しさか残っていた。

竜太郎が受け取ると、ラーメンの美味しそうな匂いがプーンと鼻を突く。
途端に腹がハデにグーッと鳴った。

その音に気づいたサラリーマンが竜太郎を見る。
竜太郎は思わず顔を赤らめた。



黒部の家は、この商店街の一番端の自転車屋である。
電話してきたのは、孝夫という二代目店主で年齢は26歳。
幼少の頃から竜太郎はこの若主人によく可愛がってもらい、そのため彼のことを“タカさん”と呼んで非常に親しんでいるのだ。

『らあめん堂』で夫婦喧嘩が始まると、よくこの『黒部サイクル』から出前の注文が入る。
最初竜太郎はなんでなんだろう、不思議だなあ、と首を傾げたものだが、回数が重なる度にその理由がわかってきた。
実は黒部が夫婦喧嘩の“止め役”になってくれていたのだ。

出前の注文が入れば、もちろんラーメンを作らなければならない。
そうなれば喧嘩の中断を余儀なくされる。

黒部はこうして、これまでに幾度も笠松夫婦のバトルを止めてきた。
両親の醜い喧嘩を見させられては、竜太郎が余りにも可哀想だと思う一心からであった。

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