10円玉、消えた
里美はかえってすっきりとした表情に変わった。
涙は嘘のようにすっかり乾ききっている。
「わかりました。仰せの通りに致します」

キッパリと言い放つと、彼女は部屋の隅に置いてある大きめのバッグをよいしょと持ち上げた。
その日一晩、どこかで泊まれるように予め準備していたのだ。

「私の物はもう昼の間に全部実家に送ったから。何か残ってたら捨てといて」

竜太郎は無言のままだった。
彼女と顔も合わせない。
いや、合わせられるはずもないのだ。

里美は玄関口まで歩きかけ、ふと思い出したかのように振り向いて竜太郎に言った。
「あ、それから慰謝料なんか請求しないから安心して。離婚届だけお願いね」

やがて彼女は足場に出ていった。
ドアのバタンと閉まる音が、そのときに限って竜太郎には、妙に湿っぽいものだったように思えた。



ホントにこれは現実なのか?
とても信じられることじゃない。
当たり前だ。
昨日まで、いや、今朝家を出るまで、里美は俺ににこやかに微笑んでいたはずだ。
それに昨夜は、いつものように美味しい料理を作って俺の帰りを待ってくれてたじゃないか。
なのになぜ急に…?
まるで別人のようだ。



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