孤独な天使
次にその女性を見かけたのは、大学の教育学部側のキャンパスだった。

私が屋上でバイオリンを弾いているとき、中庭のあたりを歩いているその人が、目に入った。


慌てて追いかけようとした。

でも、屋上から一階まで降りる間に、見失ってしまうだろう。

だから、屋上からその後ろ姿を、見つめることにしたのだ。


彼女は背筋を凛と伸ばして、L号館に吸い込まれて行った。

L号館は、音楽や美術を専門とする学生の、拠点となっている。

彼女は、音楽か美術の先生なのだろうか―――


だけど、私には知り合いがいない。

彼女のことを知る術は、何もない。



そもそも、それを知ったから何だというのだ。

たまたま、あの日に見かけた人に似ているからって。

彼女が父を陥れる理由なんて、見当たりそうにない。



私はため息をついて、バイオリンをケースにしまった。


違うんだ。

私がすべきことは、あの女の人が誰かを知ることじゃない。

むしろ、工学部に忍び込んで、父の記録を探すことが第一だ。



本当は、工学部に入学するつもりだった。

でも、土壇場で成績が上がらなくて、結局教育学部で妥協してしまった。

先生には、他県の工学部を勧められたけれど。

私は、この大学でないといけない理由があったから―――


だけど、まだ諦めたわけではない。

もし、できたら。

工学部に編入したい。

それができれば、自由に工学部に出入りできるのに。


そう、基本的に工学部の建物自体には出入りができる。

でも、研究室に忍び込むなんてことができるのは、その研究室に属する学生だけだ。

ましてや、父のいた「ライフサイエンス実験棟」は、その中で作られた生物が外に運ばれないように、厳重に扉が閉っている。

その扉を開けるためには、8ケタの番号が要る。

もちろん、それは教授とほんの一握りの学生以外、誰も知らない―――



それが、私が入学してから今までに、何一つ掴めていない理由なんだ。
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