甘い唇は何を囁くか
プロローグ
伯爵家の跡取り息子として生まれたシスカにとって、
街の者が集まる大衆酒場はもの珍しいものでしかなかった。

だから、その日その酒場に赴いたのもたまたまであり、
「偶然」と呼ぶに他ならない。

カウンターでウォッカを頼み店の中を見回すと、
何やら人だかりができていることに気がついた。

聞けば此処最近、目を疑うほどの美女が連日訪れているのだという。

誰にも靡かず、誰をも寄せ付けず、誰にも心を許さない

見目同様の揺るがない気高い魂を持つ 銀色の髪に碧眼の美女なのだと―。

そう言われては もう見ずに帰ることはできまいと、シスカは人だかりに近付いた。

屈強で酒の香り漂うむさ苦しい男たちをかき分けて前へ進むと、

すぐにその女の姿を見つけることができた。

なるほど―

シスカは言葉を失った。

言葉の代わりにため息が零れ、そして頬が熱くなった。

その美しさはまるで童話から抜け出してきたようなもので、
言葉でなど言い表す事はできないと思った。

グラスの中の酒を煽るように飲み、彼女は挑むような眼で男たちを見つめている。

何も恐れるものなどないと その瞳は言っていた。

身体が熱を帯びてくる。

雷に打たれたように、恋をした。

その 瞬間だった。
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