甘い唇は何を囁くか
いつの間にか、食い入るようにシスカの話に聞き入っていた。

長い長い、物語を聞いているようでまるで現実味はなかったけれど、その形の良い唇から紡ぎ出されるその歴史は、信じられないほど興味深いものだった。

時折、シスカの瞳が遼子の心を探るように暗くなる。

恐れ、忌み、嫌われはしないかと不安なのだと分かったから、その都度シスカの凍えた冷たい手を手のひらで包んだ。

「それから・・・。」

シスカは、家を出てから転々と場所を変えて過ごしたのだという。

自分を知る者が住む場所に居続けることはできず、海を渡り、山を越え、他国へと移り住んだ。

それでも、ひとつの場所で長く住むことはなく、ある程度その土地の女の人を食べるとまた、場所を変えたのだそう。

さすがに、日本なんていう狭い島国には来なかったらしいけれど、日本から訪れた旅行者を食べることもよくあったそうで、日本語が堪能なのもそのせい。

と、いうより何ヶ国語話せるか考えたこともないけれど、きっと住み替えた土地の数だけ、話せるんだろうな。

「この国でも、もうそろそろ土地を変えようと思っていたんだ。」

遼子は言葉もなくただ、頷いた。

なんというか、言葉が出てこない。

信じる、信じないの問題ではなくて、ただ、何というか・・・リアリティがない。

「だが、お前に逢って・・・何かが狂った。」

狂った、そう言われて何故かズキンと胸が痛んだ。

狂わせたのは、遼子なのだろうか―。

なら、出逢わなければ良かったと、そういう思いはないのかと不安になって、シスカを見つめた。

シスカは優しく微笑んで言った。

「ただ、欲望に任せて人間を喰う、ただの化け物だった。なのに、なぜかひとりの人間の女が気にかかった。はじめは、人間の子供だと、まるで魅力など感じないとそう思った。」

「それって私のこと?」

少し、頬を膨らませて言う。

シスカはくっくと喉を鳴らして笑った。

ただ微笑んだ彼も芸術作品のように綺麗だけど、なんて、優しく笑うんだろう。

「それなのに、その女はずけずけと俺の知らない俺の中に入り込んできた。しまいには、ほかの男と一緒に…そうだ、遼子!あの男は誰だ?」

「へ?」

「お前と一緒にいた男だ。あの紅い目の。あれは…。」

ああ、宗眞のことか。

遼子はふいと首を振って答えた。

「あれはただの、ん―なんて言ったら良いんだろう。えっと、そうね、友達…違うか。」

知り合い、というのとも違うような。

けど、ホテルのロビーで声をかけられただけの関係で、それ以上でもそれ以下でもない。

って、何て言えばいい・・・?

「何故、お前と口付けていたんだ?」

「あれは!あの、えっと…シスカが…。」

「俺が?」


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