甘い唇は何を囁くか
遼子は、飛行機の中にいた。

つい昨日まで勤めていた会社のことを彷彿する。

「今日で辞めます」

それは、もちろん…あまりにも非常識かな、と少しは思いもしたけれど…。

部長は目を丸くして遼子の辞表を握り締めて言った。

「何で?」

遼子は肩を竦めて、ヘッドホンをつけた。

流れてくるのは今流行ってる異国のアーティストグループのナンバー。

そして、昨日返した言葉を心の中でリピートした。

「自分を見つめなおすためです。」

10代や20代の子供じゃない。

世間の酸いも甘いも理解しているつもりだし、
今更失恋したからといって傷心旅行に決め込むつもりも毛頭ない。

だから、自分探しの旅ってよりも、
これまで何の文句も言わずにあんな男に尽くしてきてしまった
馬鹿な自分を捨てて、もう一度やり直す旅に出ることに決めた。

32歳の私には、あんまり残された時間もないような気がするし…。

貯金をはたいて1ヶ月間のヨーロッパ一人旅なんてとんでもないこと、
これまでの自分の行動力じゃ信じられない。

興奮冷めやらぬまま、遼子はパンフレットを開いた。

そして、まだ見ぬ土地に想いを馳せ、そっと眼を瞑った。




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