甘い唇は何を囁くか
ずいぶんぼんやりと周りを見ている女がいる。

あれは、観光客だろう。

シスカは今夜のメニューを探しながらその女を見遣った。

小奇麗な格好をしているが、食指が動かないのはあれが子供に見えるからに違いない。

思うのは、ヴァンパイアになってからより美しい女に惹かれるようになったということだ。

見目が良ければ、その分味が増す。

ほら、ぶつかる。

そう思って、視線を落とした。

女はどんとシスカの胸板にぶつかり、ようやく顔を上げた。

「○△□××!」

言った言葉が聞き取れず、目を細める。

小さい女は、呆然と自分を見上げている。

こんな子供でもヴァンパイアの色香に惑わされるのかと、シスカは蔑むような視線で女を見下ろした。

「…中国人か?」

そう問いかけると、女はあたふたとハムスターのように慌てふためきながらノーノーと言う。

長く生きてきて、沢山の人間を喰って来た。

だから、それでようやく分かった。

日本人か…。

日本人も何人か食べた事がある。

あれは、どこの国の女よりも甘くて喉に絡みつく。

そう、言うなれば、はちみつ酒。

それは嫌いな味ではない。

だが、喰うには幼いであろうと思い至り、不服気に言った。

「子供がこんな時間にうろつくな。さっさと家に帰れ。」

ふいと女の隣を通り過ぎる。

女はそれでも呆然と自分を見ていたが…シスカは女の隣を通り、しばらくしてから振り返った。

何か―。

香りが…?

微かに鼻先を掠めたのは、目が覚めるような爽やかな香りだった。

今まで、匂ったことのないような…。

ドクン

胸の奥で何かが撥ねた。

だが、石畳に視線を落とし、食事探しに戻る。

気のせいだ。

そう、思いつつも、何ゆえか舌先に乾いた微かな痺れを感じていた。
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